自分らしく生きるということ
文・山下朋子
絵・SORRY NEBOSUKE
私は人としゃべるのが好きだ。
相手の話を聞くことも好きだし、自分の口で話すのも好きだ。
それは、人と話すことで、自分の知る「世界」、「視点」が何だか広がるように感じるからだ。
大学の講義が終わった後に、特に予定もなく友人たちと集まりぐだぐだしゃべっている時間が好きだし、お酒を飲んでいる時にいきなりはじまる議論に熱中する時間も大好きだ。英語がペラペラ話せるわけでもないのに、バイト先に来た海外からのお客さんに、注文とは関係ない話題で話しかけてしまうほど、おしゃべりが好きだ。
しゃべっている時間は私にとって一番楽しい時間であり、幸せを感じる瞬間かもしれない。
そんな私がここでこうしてエッセイを書こうと思った理由は、これを機にもっといろんな人と話がしたいからだ。誰の意見が正しいとか間違っているとかを確認したいのではなく、ただ自分の想いを言葉にして、人の意見を聞いて、新たな視点を見つけたり、考え方に出会ったりする中で、また自分の中で考えて、話していく、そんなアクションを起こしてみようと思ったから。
だからこそ、このエッセイを通じて、私と一緒に今の社会について、自分自身について、私のことやあなたのことを考える機会になれば、心の底から嬉しい。
「フェミニストって何か気持ちわるくね。」
これは友人との、本当に何気ない会話の中で私の心にグサッと突き刺さり、ドキッとさせられた言葉だった。
なぜか。
それは「フェミニズム」とは、性別に関わらず、自分の進みたい道に進み、やりたいことができる、その選択肢を尊重することだと私が考えていたからだ。
では、「フェミニスト」という単語を聞くと、どういう印象を持つだろうか。
過激派? 男嫌い? 何でも突っかかってくる面倒くさい人?
恐らくネガティブな印象を持つ人が多いと思う。
確かにフェミニストを名乗る人の中にも、いろいろな人がいるし、男性嫌悪で女尊男卑的な考えを持つ人もいるかもしれない。
でも、私は、そうではないと考えている。
男尊女卑でも女尊男卑でもない。決して、男性か女性のどちらかを優位にするとか、そのために特定の性別の人を蔑視したり、ヘイト感情を膨らませたりするものではない、と。男性でもフェミニストの人はいるだろうし、逆に女性でもフェミニズムに関心のない人もいる。
ただ、今の世の中では、フェミニズムと聞くと少し身構えてしまうような、あまり良くないイメージが持たれているように感じる。
私がフェミニズムについて知ったきっかけは、ハリーポッターのハーマイオニー役として有名なエマ・ワトソンだった。当時、ネットの記事で彼女がフェミニストだと知り、「フェミニストって何だろう?フェミニズムってどんなものだろう?」という小さな疑問から関心が生まれていった。
調べていくうちに「女性も男性も同じ権利や機会を得るためのムーブメント」、つまり考え方だと認識するようになっていった。それと同時に、フェミニストと打ち明けたり、それについて話すことがあまり良くないイメージを持たれることもあると知り、非常に驚いたのを今でも覚えている。
しかし、調べていけばいくほど、「フェミニズム」という単語の印象のみが悪い方向に独り歩きしてしまい、その中身は置き去りにされてしまっているように感じられた。実際に、友人と話している時も、「フェミニズムって、結局男嫌い、女尊男卑みたいな考えで、SNS とかの過激な発言見てると、ちょっと引いちゃうよね」といった意見もあった。
だからこそ、言葉のイメージや断片的な情報で問題の本質を見失ってはいけないと思う。フェミニズムという言葉を聞いて思考停止してしまうのではなく、その一歩先にある「現状」について目を向け、考え、議論し続けていかなければならないのではないだろうか。
現実として、日本はジェンダーギャップ指数2022で146か国中116位である。
「女性は、結婚や出産で仕事を辞める可能性が高いから、非正規雇用が増えて、収入格差が生まれても仕方ない。」
「女性は、育児家事があるから、キャリアを諦めることになっても仕方ない。」
「女子学生は、男子学生よりも内申点が高いから、入試で合格点数の基準が高くても仕方ない。」
いずれにしても女性はこうだから仕方ないと、当たり前のように性別によってカテゴライズされ、「らしさ」に制限されている状況は、あまりに受け入れがたいように感じる。
確かに、今すぐこの状況を変えることは難しいかもしれない。それは分かってはいるけれど、それでも、「女性だから」っていう理由でこれはできない、仕方ないって諦めさせないでよって思うし、諦めたくないんだよって叫びたくなる。
だからこそ、男性だから、女性だからと性別によって自分の進みたい選択肢を諦めなくてもいい社会に変えていきたい。私はそう思う。
そのために、まず私はもっと世の中のことを知り、誰かの意見ではなく、「自分」の考えを持っていきたい。
ここまで、私は自分の想いを書いてきたけれど、実はすごく怖い。そして今も不安でいっぱいだ。
私は、まだ社会に出て働いたこともなければ、子どもを育てたこともなく、ジェンダーを専門で学んでいるわけでもない。そんな私が、それに関連する話題を議論していいのか。逆に誰かを傷つけてしまわないか。自分の価値観の押し付けになってしまわないか。すごく不安だった。
完璧な知識も経験も情報量もあるわけではないからこそ、もし自分の意見が、事実にそぐわないものだったり認識がずれていたらと考えると、意見を伝えることさえも怖くなってしまっていた。
実際、社会人の先輩から「今はむしろ女性にとって有利な世の中かもしれない」「学生が語っても、結婚も出産も働いたことさえないのに、ただの感情論ではないのか」と言われたこともある。「ジェンダー」や「女性の生き方」について話そうとすれば、細かくて面倒くさい奴だと思われるのではないかと不安でいっぱいになる。
そんな言葉を投げかけられた時、私は自分の向かう先が分からなくなった。
今の私の考え方の先には一体どんな未来が待っているんだろう⋯。自分はどんな未来を目指し、どんな社会になったら満足するのだろう。
自分が信じてきたことは間違いだったのか、悩んできたことは幻想だったのか。私はただ考えすぎていたのか。そんな風に思い悩むこともあった。
でもやっぱり、私は女性だからこういう生き方をすべきだとか、男性だからこんなことしちゃいけないみたいに縛られる社会は嫌だって思う。
そして、この世界に完璧な答えを持つ人も、自分とまったく同じ意見を持つ人もいないのではないかと、私は考える。生きてきた環境が違えば、価値観も考え方も違って当たり前じゃないかと。
きっとこれからも壁にぶつかったり、葛藤したり、悩んだりし続けるだろう。でもその度に考えていきたい。考えるのをやめないでいたい。
「フェミニストって何か気持ちわるくね。」
この言葉を友人から聞いた時、私は思うことがあったのに、言葉が出てこなかった。
それは不思議な感覚で、言語化できない自分が悔しかったし、でもおもしろかった。
もっと知りたいという感情が湧き出てくる、そんな感覚だった。
その夜は一晩中議論に明け暮れていたと思う。
今思えば、すごく恵まれた環境だった。
私のうまく言葉になっていない想いを受け止め、そこに各々の考えを乗せて返してくれる友人たちがそこにはいた。決して否定せず、かといってむやみやたらに賛成するわけでもなく、ただひたすらに自分たちの想いを話す環境が心地よかった。そんな友人たちに出会えたことは本当に幸せなことだと思う。
あのおしゃべりの時間があったからこそ、話すこと、聞くことがもっと好きになった。
自分なりの言葉で伝える楽しさを知った。
そして、間違えてもいい、人と意見が違ってもいい、言いたいことがまとまってなくてもいい。それでも自分なりに考えて、話してみることが重要なんじゃないかと思えた。
だからこそ私は、これからも自分の生きる社会に目を向けて、自分なりの言葉を紡いでいきたい。
2023年6月7日
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- 山下朋子
- Tomoko Yamashita
大学では経済学部に所属し、地域経済を専攻しながら、ジェンダーにも関心を持って勉強していました。趣味は、韓国のラッパー、ダンサーの動画を見ることです。現在、麻雀とゴルフを特訓中です。
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イラスト:SORRY NEBOSUKE
https://www.instagram.com/sorry_nebosuke/