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STAND UP STUDENTS Powered by 東京新聞

Powered by 東京新聞ABOUT PROJECT

いま、わたしたちのまわりで、
起きていること。

毎日の勉強や、遊びに恋愛、就活。普段の暮らしの中では見えてこないたくさんのできごと。環境のことや政治、経済のこと。友達の悩みも、将来への不安も。小さなことも大きなことも全部、きっと大切な、自分たちのこと。

確かなこと。信じること。納得すること。コミュニケーションや、意見の交換。
あたりまえの自由さ、権利。流れてきた情報に頼るのではなくて、自分たちの目で耳で、手で、足で、感動をつかんでいく。

東京新聞『STAND UP STUDENTS』は、これからの社会を生きる若者たちに寄り添い、明日へと立ち向かっていくためのウェブマガジンです。等身大の学生たちのリアルな声や、第一線で活躍する先輩たちの声を集めることで、少しでも、誰かの明日の、生きる知恵やヒントになりたい。

時代を見つめ、絶えずファクトチェックを続けてきた『新聞』というメディアだからこそ伝えられる、『いま』が、ここに集まります。

TALK SESSION

前編
編集長としてのそれぞれの視点

それぞれがメディアの編集長であり、若くして会社を立ち上げた起業家である2人は、イベントやメディア上で様々な問題を語り合い、共有する同志であり、友人でもあります。会話を楽しむようにものづくりに取り組む haru.さんと、広く鋭い視点で静かに世の中を見つめる平山さん。一見異なるタイプに見える2人に共通するのは『小さな声』を届けようとするエネルギー。それは東京新聞が目指す姿勢でもあります。2人の編集長による対談は、そんな共感から生まれた企画です。前編ではそれぞれの立場と視点から、お互いのメディアの問題意識や情報との向き合い方を探りました。

*この対談は緊急事態宣言解除後にオンラインで行われました。

二人の普段のお仕事を教えてください。

haru. 
自分の周りにいる人たちの個人史みたいなものを記録して紹介する『HIGH(er) magazine(ハイアーマガジン)』というインディペンデントマガジンの編集長をしているんですが、雑誌を作っていく中で、関わってくれている人たちと一緒に仕事をしたり、ビジネスにしていくということができたらもっと理想に近づくなと思い、『HUG(ハグ)』という会社を2019年に立ち上げました。

HUG での仕事は大きく2つあって、「すべての人はアーティストである」というドイツの芸術家のヨーゼフ・ボイスの言葉をコンセプトに、モデルやデザイナーから、ミュージシャン、小学校の同級生まで、いろいろな人が『アーティスト』として HUG に所属していて、それぞれが持っている信念の発信をサポートするというのが1つ。それと、ディレクターとしてブランドのアートディレクションやプロデュースの仕事をしています。そのブランドの商品が持っている本来の魅力や物語を発信していく仕事です。

平山 
僕は『NEUT Magazine』というオンラインマガジンの編集長と、『NEUT Magazine』を運営する『NEUT MEDIA』という会社の CEO として、編集や運営だけではなくお金の管理なども行なっています。NEUT Magazine は元々は『Be inspired!』というウェブマガジンだったんですが、そのリブランディングを任されたタイミングで NEUT MEDIA を立ち上げることに。偏らない、先入観のない状態を表す『ニュートラル』という言葉と、尾を切っても、目が破損しても元に戻るくらい再生能力が高いイモリを英語で言った『NEWT』をコンセプトとシンボルに掲げて2018年10月から始まりました。

東京を拠点にしながら、国内で様々な『生きづらさ』を感じている人たちや、既存の『常識』にとらわれずに活動をしている人たちのアクションや声を取り上げることで、読む人たちに新しい視点や選択肢を与えられたらと思っています。生きづらさや偏見、更新されていない常識って、社会のシステムや広告、メディアが作り出したバイアスだと思うので、そこから多くの人が解放されるといいなって思うんですよね。なので、セックスや、政治、人種、ジェンダー、セクシュアリティ、アイデンティティなどの話や、マスメディアではあまり取り上げられない人やトピックも、認知度や声の大きさにかかわらず取り上げています。

それぞれ編集長として、プライベートでも仕事でも仲が良いお二人ですが、お互いのメディアをそれぞれどう思っていますか?

haru. 
NEUT Magazine は考えるきっかけや問題を知るきっかけに出会えるメディアだなと思いながら日々読んでいます。自分が普段から気になっているトピックは自分で調べることができるし、自分も当事者として調べるんですけど、自分が知らない社会問題に出会えるのが NEUT Magazine だなと思います。潤や編集部の人たちがちゃんと取材して、私たちと同じように感じて、考えた上でちゃんと伝えようとしているので、安心して読めます。

平山 
ありがとう(笑)。僕自身がある特定の分野の知識があるわけでもないし、一つのジャンルにこだわりのあるタイプではないので、どんなイシューやトピックでも活動家や当事者の人たちの声が新鮮で、それぞれの問題に対して優劣なく見れているところはあると思います。ジャンルやカテゴリーより『人』で、NEUT で取り上げるかどうか選んでいるというか。その点は HUG や HIGH(er)magazine とクロスオーバーする部分だと思っています。でも haru. の場合は『作品を作っている』という感じがあるんですよね。その人のアイデンティティを作品にしてあげているという印象があっていいなと。

それに対して僕らはわりと新聞みたいに、なるべく多くの人が理解できるような切り口や文体で記事やコンテンツを作っている感じです。実際に編集部でも『記者ハンドブック 新聞用字用語集』などを参考に記事を書いたりしていますしね。そうなってくると、記事がおもしろいかどうかは、NEUT 側の視点も大事だけれど、読み手ありきというか。haru. は haru. 自身がアーティストだから、アーティストたちと同じ目線で一緒に作ってるよね。そこが NEUTとは違うところだよね。

haru. 
確かに、その時のイシューに対して、この人とこの人を組み合わせたらおもしろいだろうなとか、そういう意識はあると思うし、メディアを作っているというよりアートピースや人がつながるためのコミュニティを作っていると思ってるので、そう感じてもらえるのかも。

平山 
人がコミュニケーションするコミュニティを作る必要性は NEUT でも感じていて、この先やろうとしてることの1つかな。NEUT って毎月ウェブで15万人が見てるんですけど、全員の顔がわかるわけじゃない。知ってても数百人くらい。誰に向けて作ってるんだろうって思う時もあって…。いろいろな人がいるんだっていうことを顔を合わせて確認しながら、人のぬくもりを感じられるようなメディアのあり方も探っていきたいな。

haru. 
いいね。日本って当たり前のように日本語で話しかければ日本語で返ってくるし、他の人種の人と関わる機会も少なければ、宗教について話すこともあまりないよね。多様性を受け入れる土台があまりできていないって感じる。でも、生きづらさを感じているマイノリティの人たちはたくさんいると思う。

私も高校時代、ドイツにいた時にアジア人というマイノリティの当事者意識を持った経験があるし、私を含め周りの女の子たちが抱える摂食障害の問題、セクシャリティや性自認について悩んでいる友人たちを通して見えることがたくさんあった。数年前、日本に帰ってから仲良くなった友人が自殺してしまって、日本でメンタルヘルスについて話すことがまだまだタブー視されていることを知った。誰かのパーソナルなことが実は個人の問題じゃなく社会とめっちゃつながってるんだなっていうのにその時に気づいたんだよね。

つながってるからこそ考えないと、変えないとって思う。だから、自分のまわりの小さなコミュニティからでもいいから、「全然違う価値観の人とも一緒にいれるし、意見を交換できるんだ」っていうことに気づいていくことが大事だと思う。NEUT や HIGH(er) に共通するのはそこだと思います。垣根や壁を取り壊すための実験っていう感じですね。

平山 
僕もアメリカに1年留学していた頃にアジア人として差別を受けた経験があって、差別される側になって初めて社会で起きている問題は自分たちの問題だって気づけた。誰かが垣根や壁を取り壊したり、生きづらさを感じている人たちの声をメディアで出していかないと、その人たちはこの世から「いないこと」にされてしまう。SNS で声を発信しやすくなり、存在を知る機会は増えたとはいえ、まだまだリプレゼンテーションが足りないと思う。だから NEUT は生きづらさを感じて生きている人や、「当たり前」になっていることを問い直し、出る杭となって挑戦できる人の存在を「可視化」していけたらいいなって思います。

HIGH(er) magazine は紙=雑誌にこだわり、NEUT Magazine はオンラインという印象があるのですが、それぞれどう感じていますか?

haru. 
私、完結されているものが好きなんです(笑)。子どもの頃ケータイを持たせてもらえなかったので、ネットや SNS よりもずっと本が好きで本ばかり読んでいたんですね。自分で絵本を作っていたくらい。本ってはじまりがあって終わりがあるじゃないですか。終わりを決めてそれに向かって全力を尽くすっていう作り方しかできなくて…。あとは、美術館に行かないと見れない世界に1つのアートよりも、もっと簡素な作りでいいから、お守りみたいに『持っている』ことで安心できたりとか、その人に寄り添えたりするものをイメージした時に、雑誌がいいのかなって思ったんですよね。

あと、時空を超えて存在できちゃうというか。90年代の雑誌を読んで感動したりするんですけど、私たちの本もいつか、100年後の誰かを感動させることができるかもしれないなって思っちゃうんです。1000部刷ったら1000人に届いたって感じがいいなと。でもどっちもあるからいいんだよね。雑誌を読んでもっと詳しく知りたい時にネットを見る。HIGH(er) を読んで興味持ったアーティストが NUET で詳しく語ってるっていうこともあるもんね。

平山 
そもそも僕も紙の雑誌が中学生のころから好きなんです。実は大学4年生の時、紙の雑誌をやってる会社とオンラインメディアをやってる会社、2社にインターンとして応募してたんだけれど、紙の雑誌のほうは返事が来なくて。それでオンラインメディアのインターンに採用してもらい、 Be inspired! 編集部に入ることになりました。でもよく考えると、自分の考えていることやアイデアを発信できる場所であればウェブでも紙でもよかったというか。やってみてわかったけれど、1つの記事が10万人以上の人に読まれる可能性があるのはウェブのいいところだなと思います。これなら「小さな声」をたくさんの人に届けることができるなって思ったんですよね。

haru. 
そうだね。HIGH(er) magazine は紙だけれど、発信はウェブや SNS だし、最近は顔を合わせたオンラインミーティングも増えているから、いろいろな可能性がオンラインにはあるよね。気軽に集まれるし、同じ目的を持って集まっているから意見しやすかったり、距離が離れていても話せるとか、いいことも多いと思う。いろんなコミュニティ間をハシゴしながら、いろんな視点で情報を共有できてる感じ。コロナ前には自宅で顔出しでオンラインミーティングとか考えられなかったよね。

平山 
顔が見えるコミュニティの中だと、SNSよりは意見を言ったり、議論を人としやすいよね。Twitter を見てて思うのは、ポジショニングトークやセルフブランディングのツイートばかりで、フォロワーやいいね稼ぎの投稿が多いし、顔も名前もわからない人と、不特定多数の人が見る場所ではやっぱりちゃんとした議論は起きにくいなと。誹謗中傷の事件が起こった時の Twitter のフィードを思い返すと地獄絵図だよね…。

SNS の海の中で「全然いいねがつかない」とか、「何が真実かわからない」って悩むよりも、自分のまわりの友達とか家族と、オンラインでもオフラインでもいいから顔を合わせて話してみて、1人でも賛同してくれたり、反対してくれる人がいる方がいいと思うんだよね。そのほうがうれしいと思う。コロナ禍の状況だからなおさら。SNSをやってない人の中にもちゃんと意見を持って発信してる人がいるのを忘れない方がいい。

haru. 
そう。わかる。コロナになる前は『SNS 疲れ』ってあまり感じることなかったけれど、最近は SNS をやっていないと孤立してしまうんじゃないかって思ってしまうことが正直しんどい。検察庁法改正案に対するオンラインデモなんかはすごくいいなって思ったし、あれで本当に声を上げることで政治に影響を与えることができるんだって気づいた人も多いと思う。でもやっぱり誰かの小さな声が深掘りされることなく集団に弾圧されてしまって聞こえなくなってしまってるのを見るのが辛い…。

だから最近は専門的な知識を持ってる人や信頼できるキュレーターがちゃんと自分の視点で深掘りしてくれるメディアを選んでる。会話とか取材とかオフラインの情報こそ大事で、専門家が出てるラジオ番組とか、新聞は読む側に情報を選ぶ力が必要だなっていう気がするけれど、記者が毎日のように情報を取りに行って大勢でファクトチェックしてるし、専門的な視点で深掘りされているなって気がするし、最近改めていいなと思った。

今までは実家にあるのを読んでるだけだったけれど、タブレットで見れるならこれを機に新聞を読むのもいいなって思ってる。でも、それだけを頼るのではなくて、ラジオで聞いたり新聞で読んだことを誰かと話すとか、ネットで調べてみるとか、視点を持つっていうことが大事なんだと思う。

平山 
これは自分も含めてなんだけど、あまり知識がない状態で SNS の議論と向き合うのは危険な気がする。普段から社会問題や政治のこと考えているわけではない人が、その問題についての議論を目にすると、追いつけなくなるし、疲れちゃう。関心を持つことは大事だけれど、SNS だけを真に受けない方がいいのかな。haru. がさっき視点を持つことが大事だって言ってたけれど、まさにその通りで、ちゃんと情報と向き合って、自分の視点や意見を持った上で SNS やネットを使わないと流されてしまう。SNS って一次情報も転がっているけど、フィードには『誰かの視点』が集まってるから、SNS で正確な情報を得るっていうのはそもそも難しいんだと思う。大事なのは SNS に向き合う前の自分の意見。正解かどうかはさておき、まず自分がその情報に対してどう思うのか。

>> 後編「新聞というメディアを通じて」へ続く

haru.
HIGH(er)magazine編集長
1995年生まれ。 東京藝術大学在学中に、同世代のアーティスト達と HIGH(er)magazine を編集長として創刊。 多様なブランドとのタイアップコンテンツ制作を行ったのち、2019年に株式会社HUGを設立。 取締役としてコンテンツプロデュースとアーティストマネジメントの事業を展開し、新しい価値を届けるというミッションに取り組む。

https://www.instagram.com/higher_magazine/
https://www.instagram.com/hahaharu777/
https://h-u-g.co.jp
平山潤
NEUT Magazine編集長
1992年、神奈川県相模原市生まれ。成蹊大学卒。ウェブメディア『Be inspired!』編集長を経て、現在は『NEUT Magazine(ニュートマガジン)』創刊編集長を務める。『NEUT Magazine』では「既存の価値観に縛られずに生きるための選択肢」をコンセプトに、先入観に縛られない視点を届けられるよう活動中。

http://neutmagazine.com
https://twitter.com/junhirayama

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