私の生き方が正解か不正解かなんて、
私が生きてみないとわからない
文:酒井彩花
絵:adim
私はこの春大学を卒業しました。ですが、就職活動は行いませんでした。自分がこの先何をするか、どこにいるかはまだはっきりと決まっていません。けど、やりたいことは数えきれないほどあります。
「やりたいこと、全部やりたい」「いろんな人と会っていろんな話をして、社会のことや生きることをもっと勉強したい」
この言葉を聞いてみなさんは私のことを「自分勝手」とか「恥ずかしい」と思いますか? それとも「芯がある人」だと思いますか?
きっと現代社会では、私みたいな考え方にはまだマイナスの意見があると思います。安定した仕事に就かず、自分の好きなことを追いかけるのもいいが「きちんと現実を見ろ」と。
ごもっともです。
最低限の生活をするため、そして自分の理想の生き方へ近づくためには、どうしてもお金がかかります。だからこそ未来の自分への投資としてしっかり就活をし、自分の所属先を持てと。大学を卒業したら就職して、定年まで働いて家族を持って生きる。これは当たり前に、みんな一度は考える生き方の1つだと思います。
けど、そういう生き方よりも、自分が好きだと言えるものを見つけて、それに触れた時にこそ『命のきらめき』が宿ると、私は思っています。
私が好きだと言えることの1つに「映像」があります。映画でもミュージックビデオでもアニメでも、私にとっての映像は、現実以上にリアルを感じさせてくれる存在です。いろんなものが動いて、それを目で追うと音が聞こえてきて、感情が伝わってきて、色のついた感覚の波が一気に押し寄せてくる。見る前と見た後では、自分の中も変われば、社会を見る目も変わっている。思い切り感動して笑って泣いた時は、いったん今までの自分が全部いなくなって、生まれ変わったかのような気持ちになる。
こんなにも私のことをガンガンに振り回してぐちゃぐちゃにしてくる「映像」という生き物が憎くて、それが現実じゃないことが妙に悔しくて、でもそれ以上に、振り回されて生まれ変わるのが大好きで、その全部が愛しいです。
この「映像という『生き物』への狂おしいほどの愛や熱量」はもしかすると私にしか感じることができない感覚かもしれないし、この感覚は誰にも譲れない私の宝物だと考えています。だからきっと私は映像を作ることに命を燃やすべきだ。それこそ「命のきらめき」だと確信したのです。
だから私は、就活をやめました。映像系の会社に行くこともできたと思います。でも、何か自分の気持ちがはっきりしないまま、もやもやした状態で周囲の人たちと同じように「就活」をしなきゃいけないということ、自分の気持ちを偽り続けることに、きらめきもワクワクもないとわかったんです。
大学の4年間でいろんな人と話して感じた「卒業したら会社でも何でもいいからとにかく1つの集団に属する」みたいな流れが私はずっとわからなくて、社会に出る意味も、会社に入らなきゃいけない理由も何も知らないのに、それに属することは、私は怖い。みんなは怖いなんて思わないのかな。もっと自分のことも、今自分が生きている日本って国のことも知りたいし、いろんな場所に行きたいし、たくさんの人に会いたいし、感覚も学びたい。そのためには私は自由でいないと。そうじゃないと命のきらめきがなくなってしまう。死んでしまう。
既存の型にハマって安定することよりも、できなくてもいいからどんどん試して試して、失敗してまた作る。就活もせずに非常識と言われたとしても『レールからちゃんと外れる』ことを選んだのだと思います。
現代社会ではネットが発達し、多くの情報が一瞬で手に入ってしまいます。それによって自分と誰かを比べて、他人のことをうらやましく思ったり、みんなと合わせなきゃと思ったりしてしまうかもしれませんが、それを繰り返すと「ずっと何かが足りない」と感じ続けることになると思います。
「足りないと感じ続けること」や「自分のことがわからなくなること」は、思っている以上に怖いことだと思います。
だからこそ、自分の気持ちに沿った情報を選ぶことが大事だし、みんなが選んだ情報だからといって「常識」だと思わないこと=既存のものにとらわれないことが必要だと思います。常識に沿わないことは「非常識」ですし、危なっかしい人だと感じるでしょう。一見、何をしたいかわからない人に見えるかもしれませんが、第一印象だけで判断はできないと思います。その人の考えや本心までは目では見えないのです。「視覚」だけでは頼りないので、私たちは「言葉」を持ち、言葉を交わす必要があります。その人の「考え」を言葉で聞いた瞬間、その常識はひっくり返るかもしれません。いつか「命のきらめき」を大切にすることが常識になるかもしれない。
私の生き方が正解か不正解かなんて、私が生きてみないとわからない。
私は自分の好きなことにワクワクしながら、知らないことをどんどん学びながら生きるという選択肢を選びました。わからないことははっきりわからないと言い、自信を持って悩んでいこうと思っています。根拠はありません。でも絶対にこの生き方のほうがワクワクするという自信があります。
就活はやめましたが、今は、自分の好きなアートを扱うお店で働きながら、映像制作チームに参加し、美術班として大道具作りや空間作りをしています。
いつか、手に汗握るような、何も考えられないぐらい、今、目の前に流れているもの、その全てを感じたいと思わせるような感覚の映像を作りたいと思っています。
「視覚」は頼りないと言ったけれど、私は映像の世界を信じていたい。「言葉」は大切だと言ったけれど、いつか自分の考えを言葉にしなくたって「きらめいてる」って感じてもらいたい。それは言葉よりも目に見えない気持ちや感情が溢れてしまうような瞬間に近いと思っています。映像を信じていながら目に見えないものを信じるって、矛盾しているかもしれませんが、これが今の私の目標です。
「こんな気持ちで生きててはだめ?」
「テキトーすぎる?」
これが私から、みなさんへ聞きたいことです。
就活をしないと決めてからずっと「大人ってなんだろう」と考えてきました。概念も定義も線引きも人によって異なるし、そんなことを考えたって無駄なのかもしれません。もしかしたら大人も、大人というものをわかっていないのかもしれません。
それならわからないでいいか。私はそう思います。きらめきを大事にしながら、わからないことを正直にわからないと言える人の方が、よっぽど素敵だと考えるようになって、私はずっと「大人」を勘違いしていたのだと気づきました。今ここに高校生の時の自分がいたら言ってあげたいです。
「大人になんてならなくてもいいから、自分の奥の奥にある“きらめき“だけは見逃さないでね」と。
2022年7月26日
※ 学生時代に書いたものを今年3月の卒業後に加筆・修正しました。
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- 酒井彩花
- Sayaka Sakai
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イラスト:adim
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