子どもの居場所をつくることは、
大人の居場所もつくること
文:森下瑛子
絵:たかはしけいこ
去年の春、コロナ禍で大学生活を迎えた私は家で過ごす時間が多くなり、それに比例して無意識に居場所について考えることも多くなった。キャンパスライフを知らず、高校生の頃、私の居場所だったライブハウスにも気軽に行ける環境ではなく、大学生になってから、自分の中のフラストレーションは日に日に大きくなっていった。
充実した大学生活を過ごしているとは言えなかったそんな2020年大学1年の後期、やっとはじまった数少ない対面授業で、私は「子どもの権利条約」について学んでいた。子どもの権利条約というものを、私はそれまで知らなかった。
主に4つの権利に分けられる条約の内容は、ユニセフのホームページを見れば、
1. 生きる権利
2. 育つ権利
3. 守られる権利
4. 参加する権利
と書かれている。細かい条文は40を超える。この条約は国連が1989年に採択し、日本は1994年に批准した。
日本には、独自の子ども権利条約を掲げる自治体もある。自治体と子どものあり方をテーマにした授業で、私は、その一つでもある西東京市の子どもたちに向けて、「西東京市子ども条例」を知ってもらうためのパンフレットを作成した。
私自身も西東京市で育ち、今も暮らしている。
そして、その地元での苦しい過去も持っている。
中学生の頃、私は地元の中学校に通えなくなった。中学1年の時、小学校の頃から仲の良かった友達から急に言葉の攻撃を受けるようになり、またバスケ部に所属していた私はその攻撃と同時期に、足を怪我し、十分に部活にも参加できなくなっていった。そして教室にも部活にもいづらくなり 、家の中にいた。家で過ごすと言うより、本当に抜け殻のように、体だけがただそこにいた。
大人を信じることが難しい時期でもあった。教室だけが世界のすべてだという錯覚に陥り、息苦しく、消えてしまいたいと常に考えていた。
パンフレットを作成している時、「あの頃の私と似たような抜け殻状態の子どもたちが、今もいるのでは」と考えた。そして、あの頃の私が大人に求めていたこと、かつての友だちに気づいてほしかったこと、それがなるべく伝わるようなパンフレットにしようと思いついた。
授業で配られた「西東京市子ども条例」を何度も読み込み、不登校だった中学生の頃の私を思い出しながら、条文の中から気になる言葉と文章を書き出し、パンフレットに載せたいことを考えた。この、たくさん並べられている言葉の中で、家で空っぽになって座っていた私の水分になるものはどれだろうか。
この作業の最中、不登校だった頃を思い出して、しんどいなと感じることも多々あった。
同じ授業を取っていた友達が考案してくれたデザインのおかげもあり、無事に完成したそのパンフレットは、私が大学2年生になった春ごろ、西東京市の幼稚園や学校に配られたようだった。
「きちんと届いているだろうか。教員の方や保護者の方にも内容が伝わっているだろうか」。私は不安だった。子どもの権利条約の主役にあたる子どもたち自身が、この条約を知ることはとても大切だと思う。しかし、知ることを手助けできるのは大人しかいないのだ。
同じ授業で、川崎市にある「子ども夢パーク」を見学に訪れた。川崎市も「川崎市子どもの権利に関する条例」を有する市で、「子ども夢パーク」は、それに基づいた施設である。施設を案内してもらい、最後に代表者である西野博之さんのお話を聞いた。
西野さんがこれまで関わってきた多くの子どもたちは、家庭や学校などでうまく過ごすことができない過去や環境があった。西野さんの子どもに対する鋭い気づきや、その子たちを救う方法は、私が考えていたよりもずっと複雑で難しいことと知った。そしてお話を聞きながら、私は西野さんの子どもへの計り知れないほどの愛を感じていた。中でも私には「誰もが生きているだけで祝福される」という言葉が特に響いた。お話を聞いている間、心だけタイムスリップし蘇った不登校の頃の私の気持ちに、まっすぐ突き刺さっていた。
「あの頃、この場所に出会っていたら私はどんなに楽だったかなあ」と、素直に感じていた。
私は西野さんに質問した。
たくさんの子どもたちと触れ合うということは、また同じ数だけの保護者の方たちとも話をすることになるだろう。例えば虐待を繰り返してしまう保護者の方に、どのような声を掛けるのだろうか。その問いに対して西野さんは、「最初から叱るようなことはしない。そうなってしまう理由があるのだから、じっくり話に耳を傾けることからはじめる」と答えてくださった。
西野さんは、子どもを守る役目だけでなく、保護者と話し合うことも大切にしている。これは、当たり前のようで実は難しいことだと感じる。
私は今年の夏に、2日間と小規模ではあったが、地元の子どもたちと触れ合うボランティアに参加した。そしてその時、緊張している子どもたちの表情、送迎していた保護者の方たちの少し不安げな様子や、イベント終了時、子どもの感想を聞きながら安心したように帰宅する姿を見て、子どもの居場所をつくることは、同じように大人の居場所もつくることでもあるのだなと感じた。そして何より、コロナ渦のニュースでたくさん報道されていた、キャンパスに通うことのできない大学生に対するマイナスイメージを苦しく感じ、大学生であることに自信が持てなかったけれど、子どもたちと触れ合うこと、イベントを企画した大人の方たちと関わることで得た学びが、いつの間にか私の居場所にもなっていた。
コロナ禍で居場所の提供が十分でないとされるこのご時世、改めて子どもの権利条約について考えてみる。冒頭で紹介した4つの権利は、基本的人権のように自然なものだと私は思う。しかし同時に、子どもは大人が思っている以上に、自分の気持ちをうまく表すことができないとも思う。私自身、小学生の頃から担任の先生や家族の表情を敏感に感じ取り、伝えることをためらうことが多かった。
そこで国連の子どもの権利条約第12条を見てみると、「意見を表す権利」と定められている。条文で表すと少し難しく、怖じ気づきそうにもなるが、子どもたち自身がその権利を生まれながらに持っていることを知ることができれば、子どもだけでなく大人も生きやすくなるのではないだろうか。
ただ一方的に大人が子どもの意見を聞くのではなく、子どもが大人と一緒に考えることができる。大人自身も、自分たちの能力で無理に解決することにこだわらなくて済む。そのことがどれだけ子どもにとって重要であり救いになるか、私はきっと不登校を経験していないと実感できなかっただろう。
だからこそ、今ここで伝えたい。
不登校の過去を持つ人にも、持たない人にも。子どもにも大人にも。誰かの居場所をつくることは、自分自身の居場所をつくることでもある、ということを。
2021年11月19日
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- 森下瑛子
- Eiko Morishita
法学部の大学2年生。
趣味は読書、フィルムカメラ、クラシックギターで弾き語りをすることです。大学卒業後は日本一周と世界一周をします。いつかそのことを文章にできたら良いなと思っています。
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イラスト:たかはしけいこ
https://www.instagram.com/keiko__t/