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STAND UP STUDENTS Powered by 東京新聞

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いま、わたしたちのまわりで、
起きていること。

毎日の勉強や、遊びに恋愛、就活。普段の暮らしの中では見えてこないたくさんのできごと。環境のことや政治、経済のこと。友達の悩みも、将来への不安も。小さなことも大きなことも全部、きっと大切な、自分たちのこと。

確かなこと。信じること。納得すること。コミュニケーションや、意見の交換。
あたりまえの自由さ、権利。流れてきた情報に頼るのではなくて、自分たちの目で耳で、手で、足で、感動をつかんでいく。

東京新聞『STAND UP STUDENTS』は、これからの社会を生きる若者たちに寄り添い、明日へと立ち向かっていくためのウェブマガジンです。等身大の学生たちのリアルな声や、第一線で活躍する先輩たちの声を集めることで、少しでも、誰かの明日の、生きる知恵やヒントになりたい。

時代を見つめ、絶えずファクトチェックを続けてきた『新聞』というメディアだからこそ伝えられる、『いま』が、ここに集まります。

STUDENT NOTE

06
野村悠人
Yuto Nomura

小さな声に耳を傾け、社会のこと、これからのこと、身近なことを一緒になって考えていくために、学生が書いたエッセイを毎月『STUDENT NOTE』としてお届けしています。

日々の暮らしの中で思ったこと。SNS やニュースを通じて感じたこと。家族や友人と話して気づいたこと。もやもやしたままのこと。同世代の学生が綴る言葉が、誰かと意見を交わしたり、考えたりする<きっかけ>になればと思っています。

第6回は、カヌーに出会い、海での仲間たちとの活動を通じて、環境に対するさまざまなことを気付かされたという野村悠人さんによるノートです。

水の循環、僕の自覚

文:野村悠人
絵:なかおみちお


僕は今、葉山の海で、小学生から60代までの幅広い世代の人たちと共に va’a(「ヴァア」=ハワイ語でカヌー。6人乗り)を漕ぎ、浜のゴミ拾いをする生活を送っている。とてもシンプルで心地のいい暮らしだ。

カヌーとは約1年前に出会った。大学へ進学したものの、新型コロナウイルスの影響で学生生活が極端に制限され、自分の中のエネルギーを向ける先を見失っていた。そんな中で知り合いの紹介で、葉山で活動する「オーシャンアウトリガーカヌークラブ」を知った。社会は混乱していたが、海は僕を受け入れてくれた。

それから様々なことに気づかされてきたが、特に今年の夏、実家のある横浜から期間限定で葉山に移住し、同い年の3人とシェアハウスで暮らしたことで得た気づきは、19年という僕の生きてきた短い時間の中でも、最も大きなものだった

僕の気づいたこと。

それは、私たちが生きていくのに欠かせない「水」は、「海水が蒸発し雲となり、山にぶつかり雨を降らせ、落ち葉や根っこ、土壌によって濾過され湧き出し、細い水脈が集まり川となって、また海に還る」という、巨大な循環によって成り立っているということ。そして、私たちはその中にいるという事実だ。

僕はこの事実をできるだけ多くの人に、心の底から感じてほしいと思う。あなたの心に一滴の水が生まれるまで。



今、世界中の浜にゴミが漂着している。特にオンショア(海から陸に吹かって吹く風)が強い日は、ペットボトルや漁網、ブルーシートなど大きなゴミが目につく。外国のラベルを見ることも珍しくない。これらを見るのはとても悲しい。美しいはずの自然が、僕たちのせいで汚れていくのを目の当たりにさせられる。

浜に何時間しゃがみこんで拾っても拾いきれないほどのプラスチックが、すでに世界中の浜を侵している。そして目に見えなくなるまで分解されたマイクロプラスチックは「水」を経由して私たちの暮らしに還ってくる。

悲しいことに、僕はゴミからこの大自然の美しい循環を実感させられた。

先にも書いたように、僕は今カヌーで海に漕ぎ出すことと同じように、浜でのゴミ拾いを日課にしている。だが以前はそんなこととは程遠い生活を送っていた。ペットボトル入りの飲料を購入し、時には道端に捨てることもあった。タバコを吸ってはそれをかっこいいものだと思い地面に落とし踏み消した。それが雨水に流され海を汚し、魚やイルカや亀、そして自分自身をも汚していることに気づかずに。

カヌーを始めた頃、そこで出会った仲間たちは、練習の前後や合間に海岸のゴミを拾うビーチクリーンをしていた。僕はただその場の空気に流されてゴミを拾い始めた。いや、むしろ懐疑的ですらあったかもしれない。世界中に何千何万という浜があるのに、たった一つの浜の一部をきれいにしたところで何になるのだ、と。そんな思いのままビーチクリーンをただ惰性ともいえる態度でやっていた。

そんなある日、カヌークラブの kupuna(ハワイ語で長老、先祖という意味。僕らのリーダーのような存在)の Duke さんがこんなことを僕に言った。

「僕らがビーチクリーンをするのは当たり前なんだ。僕らは海や太陽、自然がなければ生きてくことすらできないし、こうやって毎日楽しく海に出られているのは、海がそこにあるからなんだ。僕らはそのことに感謝し、行動を起こさなければいけない」



それから僕は、この言葉の真意を考えながらビーチクリーンをするようになった。以前よりもずっと能動的に。そして僕は自覚したのだ。自然の大循環のたった一つの要素に過ぎない人間が、汚れを持ち込み、他の生き物や美しい自然を汚し、自分たちをも汚している現実を。

僕は罪滅ぼしのような気持ちでビーチクリーンをするようになった。こんなに汚してしまってごめんなさい。今から「悪」であるこのゴミたちを拾うから許してください、と。

しかし最近は、それも違うんだと思い始めた。地球を汚してしまっているプラスチック。でもこの技術を開発した人は、みんなに素晴らしい生活を送ってほしいという「善」の気持ちだったはずだ。僕らは確かにその恩恵を受けて暮らしている。そうして人のためだけに役立ったプラスチックは、自然の循環の中で、他の生き物を苦しめている。

では、このゴミたちは自然を、他の生き物たちを傷つけたくてそうしているのだろうか。違うはずだ。ただ人間の役に立ちたかっただけのはず。しかし現実は、人間の生み出したゴミがあらゆるものを汚している。ならば、その尻ぬぐいは僕たち人間がするべきなのではないか。

僕は今、ゴミの叫びを聞く。
もう何も傷つけたくないのだ。僕らをつくった責任を取ってくれ。



環境問題、と人は言う。しかしその時、自然と人を対比させて考えていないだろうか。僕は今、アパートの一室の隅っこでこの文章を書いている。隣のベッドでは同居人が何かぶつぶつ言っている。目につくものは、乱雑に積まれた本と Beatles の CD、目覚まし時計と角にたまったほこり。時々小さな虫が飛ぶのも見える。窓にはカビがところどころ生えてしまっている。言い訳をするなら、葉山は湿気が多いのだ。

これも環境だ。僕が文章を書く環境。これを改善しようとする。例えばカビをなくそう。そうすると自然に影響を与えかねない洗剤を使う人と、重曹など地球に負荷が少ないもので掃除する人が出てくる。この2人の違いは何だろう。自分の周りの「環境」を良くしたいという動機は同じだ。だが前者は自分の目に映る範囲しか見えていなくて、後者は目には見えない広い範囲を見ている。この一時だけなら、カビが落ちればどんな洗剤だっていいだろう。しかし想像してみてほしい。それによって汚されていく存在、そんな「環境」で育つ未来の子どもたちのことを。

環境問題を最初から大きくて広い話だととらえると、見落とすことが多くなりそうだ。自分の部屋から地続きでひとつにつながって、こんな大きな問題になっているという流れを一人ひとりが「想像」できれば、世界はもっと美しくなれると僕は思う。



va’a は乗っている6人全員に役割があり、全員が全員のために頑張らなければ、うまく進まない。

ハワイを含むポリネシアの島々には、こんな言葉があるとDukeさんが教えてくれた。

「He va’a he moku, he moku he va’a.」
(カヌーは島、島はカヌー)

僕らは地球という、宇宙に浮かぶカヌーを漕いでいる。
クルーは木であり、虫であり、魚であり、動物たちであり、微生物である。彼らの働きで、僕らは命の水を飲む。

さて僕らの役割は何だろう。

2021年10月12日

※ エッセイへのご感想やご意見がありましたら STAND UP STUDENTS の公式インスタグラム へ DM でお送りください。

STAND UP STUDENTS では、今後も、学生たちがさまざまな視点で意見や考えを交換し合える場や機会を用意していきます。お気軽にご参加ください。

野村悠人
Yuto Nomura
2001年生まれ。大学2年生。葉山の海でカヌーを漕いで自然と調和する生活を目指しています。
ものごとの真理、本質を考えるのが好きで、ちいさな素敵なことを文章にして生きていけたらな、とこのごろ考えています。
気持ちの良い生活を送ることを心がけて。

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イラスト:なかおみちお
https://www.instagram.com/nakaomichio_illustration/

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