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STAND UP STUDENTS Powered by 東京新聞

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いま、わたしたちのまわりで、
起きていること。

毎日の勉強や、遊びに恋愛、就活。普段の暮らしの中では見えてこないたくさんのできごと。環境のことや政治、経済のこと。友達の悩みも、将来への不安も。小さなことも大きなことも全部、きっと大切な、自分たちのこと。

確かなこと。信じること。納得すること。コミュニケーションや、意見の交換。
あたりまえの自由さ、権利。流れてきた情報に頼るのではなくて、自分たちの目で耳で、手で、足で、感動をつかんでいく。

東京新聞『STAND UP STUDENTS』は、これからの社会を生きる若者たちに寄り添い、明日へと立ち向かっていくためのウェブマガジンです。等身大の学生たちのリアルな声や、第一線で活躍する先輩たちの声を集めることで、少しでも、誰かの明日の、生きる知恵やヒントになりたい。

時代を見つめ、絶えずファクトチェックを続けてきた『新聞』というメディアだからこそ伝えられる、『いま』が、ここに集まります。

なんて言ったらいいんだろミーティング

第2部 レポート 公開日:2022年3月22日

2月に公開し反響を呼んだ「なんて言ったらいいんだろミーティング」レポート。言葉にならない思いや社会に対するもやもやを持ち寄り、焚き火のように囲んだありのままの座談会は、参加者の気持ちを明るく照らしただけではなく、コロナ禍で孤独を抱える多くの学生に共感や勇気を与えるものになったような気がしています。

第1部と同じ2021年12月23日に、メンバーを入れ替えて行われた第2部では、3、4年生特有の悩みでもある「就活」、そして「コロナ禍の孤独」をテーマに、さまざまなもやもやを語り合いました。引き続き会場でもある渋谷 PARCO 9階のスタジオGAKUの事務局長・熊井晃史さんによるファシリテーションでミーティングははじまります。

なんて言ったらいいんだろミーティングのコンセプト

「なんて言ったらいいんだろ」という思いは実は、自分の心の内と向き合いながら、他者との会話をどうやって豊かなものにできるだろうかという誠実さ。STAND UP STUDENTS では、そんな「言葉になって生まれる前の思い」に未来や可能性を感じています。だからこのミーティングでは、なめらかに淀みなく喋れたり、共感を得やすい言葉を選ぶ必要はありません。焚き火に薪をくべるように、社会のこと、自分のことをゆっくり話せたらと考えています。

※ なんて言ったらいいんだろミーティング 第1部 レポートはこちらから

熊井晃史さんへのインタビュー『先輩VOICE

もやもやたまって
いませんか?

熊井:それぞれみなさんどういう思いでこのミーティングへの参加を申し込みましたか? *1年経って心境の変化などもあれば聞かせてください。

*緊急事態宣言などの影響で延期が続き申し込みから1年後の開催となりました。



田矢美桜奈(21): 私は前から STAND UP STUDENTS にも GAKU にも興味があって、GAKU で開催される STAND UP STUDENTS のイベントなら絶対に出たいなと思って参加しました。

熊井: ありがとうございます。うれしいです。ちなみに GAKU のどういうところに興味をもってくれましたか?

田矢: まだ10代の中高生が建築やデザインとか専門的なことをリアルな現場で学んでいて、普段学校では体験できないような学びの機会を与えるってすごくいい取り組みだと思っていました。私も10代だったら参加したかったなと。



安田舜(22): ぼくは今年卒業で、この春からステージが変わるんですが、申し込み時はまだ3年生で就活の真っ最中でした。授業もほぼオンラインだし、まさに「なんて言ったらいいんだろ」っていう思いをぶつける先を見失ってたんですよね。学校に行けば、友人と雑談することで解消されることもあったんですが、部屋で一人だとどんどん毒素がたまっていく感じがして⋯。ある日インスタを見てたら STAND UP STUDENTS の投稿で「もやもやたまってませんか?」っていうメッセージが流れてきて。あ、ここだ!と思って応募してました。

一同:(笑)



開沼位晏(25): 僕も安田さんとまったく同じです。1年前は就活中で学校はオンライン授業、違和感を感じても誰とも話せない。さらに僕の場合1年休学していたことがあって、同級生の友人もみんな社会人。話せる相手がどこにもいなくなってしまったんですよね。そんな時に僕もたぶん同じインスタ投稿を見て。

熊井: 1年経ちましたが、その間、話せる機会ってありましたか?

開沼: 自分からそういう集まりに積極的に参加して話す機会は増えたんですが、もやもやはたまっていく一方で。だから今日は自分が何かを言いたいというより、同じ学生のみんなが何を考えているかを聞きたいという思いで来ました。



杉浦夏帆乃(22): 私も4年なんですが、どちらかというと「就活したくないなー」って思っていて。というのも留学をしようとしていたんですけどコロナでなくなってしまって、それが確定したのが今年(2021年)の1月だったんですね。みんなもうとっくに就活始めてるし、焦っていくつか企業の説明会に行ってみたんですけど「なんかおもしろくないなー」と思って。なんて言うのかな、なんと言うんだろう、うーん。

熊井: それそれ。まさにそれです!

一同:(笑)

杉浦: みんな自分の何を見せたいんだろうって思ったんですよね。自分を装って、普段誰にも見せない「いい顔」をして相手の懐に入ろうとしてる人とか? なんか、うーん、なんか、私にはできないなって。鳥肌が立ってきちゃったんですよね。で、私、社会不適合者なのかな?と思ったりもしたんですが、今まで自分が嫌だな、なんか違和感があるなって思ったまま取り組んだことでうまくいったことがないので、自分の感覚を信じようと思って、何かしら進学する方法を探索しているところです。私の場合、1年前に抱えてたもやもやは道を変えることでなくなったかもしれないです。って答えになってますかね?



熊井: 大丈夫です。気が向く方に話も向かってくのはとても大切だなとも思っています。時には話がそれたり話しながらテーマを見失ったりする感覚になることもあるかもしれませんが、そういうモードでしか話せないこともたくさんあると思うんですよね。なので、あまり気にしないでください!

杉浦:とにかく STAND UP STUDENTS を見た時に、こんなにいろんなことを考えている同世代の人たちがいるんだって、ある意味希望というか、なんか、なんだろうな。うーん⋯。この社会ってすごく生きるの大変だなって思ってた時期だったので⋯勝手に⋯その人のことは何も知らないんですけど、仲良くなれそうな人がいっぱい登場していて、その流れですね。

熊井: ありがとうございます。

社会に人を合わせるのか
人に社会を合わせるのか

熊井: 就活というトピックはみなさんに共通するところもありそうなので、そのあたりを皮切りに話を聞いていきたいと思います。田矢さんは大学3年生ということで、就活という言葉がちらついてくるかと思いますがどうでしょうか?

田矢: 不安ですね。1年後の私がどうなってるのかもわからないのに、将来のこと決められるかなって。

熊井: 先行きの不確かさはやっぱりありますよね。実際に就活を経験した開沼さんはいかがですか?

開沼:まず、敷かれたレールを踏み外しちゃった人はあまりうまくいかない世の中っておかしいなって思うのが前提にあるんですが、形式的な質問ばかりの面接にもやもやしました。「社会人として大事なことは何ですか?」というような。僕としてはもっと「自分という人間」を見てほしいと思ったんですよね。それっておかしいと思うの僕だけですか? それだったらマズイかなと思って、今日聞けたらなと。

安田: 僕も面接で「ヤバッ」って思ったことがあるんですが、某会社の面接で、受け答えも反応もよかったんですよね。これ絶対に受かったと思ったら不採用の通知が届いて、納得いかなかったんで理由を聞いたんですよね。そしたら「面接中にお茶を飲みすぎ」と言われたんですよね。



熊井: えー!ちょっと驚愕の理由です。

安田: 人間の体ってほぼ水じゃん?って。

一同:(笑)

安田: その会社に受かったとしても、お茶飲むたびになんか言われそうでやってらんないなと思って。その時に「社会ってムズい」って思いましたね。みんなどうしてるんだろうって。

開沼: 就活だけじゃなく私生活でも思うことなんですが、「一般的に」とか「社会通念上」とか、基準は何?って思うんですよね。人それぞれ「普通」ってみんな違いますよね? 男らしさ女らしさとかに関しても思うんですが、他の人とちょっと違うことをするだけで普通じゃないって言われる。なんだそれ!と思って。僕、ピンクの服とか着るんですけど友人から「よく着れるな」って言われるんですけど、なんでアカンの!って(笑)。



杉浦: 「一般」「普通」で語られてしまうと「誰を見てるの?」って思いますよね。その人が持ってる個性は排除されてしまうし、なんかニュートラルな立場にないなって。

熊井: 開沼さんは「普通」とか「一般」っていう言葉は普段あまり使わないですか?

開沼: もちろんルールに対しては必要だと思うんですが、それ以外では言いたくないし、聞きたくもない言葉です。人が嫌がる言葉はできるだけ使わないようにしています。でも、相手が傷つく言葉かどうかを考えているうちに、意見を言えないまま終わってしまうっていうことがよくあります(笑)。

杉浦: あー。わかる。

安田: LINE とかチャットでもありますよね。相手を傷つけないように絵文字を使うとか。会って言葉で伝えればすぐなのに、悩んじゃって時間かかっちゃう。

田矢: 少し会話がずれてしまうかもしれないんですが、同じ部活内に退学しちゃった人がいて、でも退学してもその部活は続けられるっていうルールがあるのにも関わらず、部長がその人をチャットグループから外してしまったんですよね。戻りたくても戻れないっていう状態になってしまって。それを聞いた私が部長以外のグループを作って、そこでそのことに意見をしてしまったんですよね。それを知った部長がさらに傷ついてっていうことがあって。でも全部オンライン上のできごとで、対面だったら起こらなかったトラブルかもしれないなと。



杉浦: 言葉に色をつけるってセンスが必要じゃないですか。相手に合わせるってなるとなおさら。大変だなって。だから最近は Zoom の URL 送って「少し話そう」って言うようにしています。LINE やメールだと伝わらないし、会うほど時間に余裕はないしっていう時に、10分でも向き合って話すと大丈夫になるっていうか。もちろん会えたら会いたいけれど。

田矢: 揉めたら Zoom します。

熊井: 揉めたら Zoom!すごい時代を感じるフレーズ!

一同:(笑)

コロナ禍で
たまった「毒」

熊井: 普段の生活から就活など、コロナの拡大もありつつ様々な局面で生きづらさを感じながら、そういう壁を越えていく努力をされているんだなと感じます。そのあたりの「つらいな」と感じていることをもう少し聞かせてもらえますか?

安田: とにかく全てがオンラインなのがつらいです。大学の授業、部活、就活の面接、とにかく基本なんでもオンラインなんです。自室の自分のパソコンの前だけで完結してしまうんですよ。授業が終わったら Zoom がプツッと消えるんですけど、モニターにおもんなさそうにしてる自分の顔が映るんですよね⋯。で、部屋にいるだけなのにスーツに着替えて次は面接の時間。またプツッと切れて、上だけスーツ姿の自分が映って。食事の時とか、お風呂に入る時だけ部屋から出て、家族と会話して。部屋で寝て、また朝起きてパソコンの前に座る。その繰り返し。自分の部屋の中だけが世界で⋯ずっとつらかったですね⋯。この悩みを誰に相談していいのかもわからないし、いつまで続くんだって⋯。

熊井: 最初に毒がたまってるって言ってたけど、たまった毒はできるものなら吐き出したいですよね。みなさんはどうしてました?

田矢: 閉塞感がいやで、できるだけ旅に出たりしていました。

熊井: 旅 !?



田矢: パソコンとネットがあればどこでも授業を受けられるので、今のうちに行きたいところに行っておこうと。毒はたまるけど旅先で解消する感じでした。

開沼: 旅をしてるだけで叩かれる時期もあったじゃないですか? 別にそれぞれ旅したっていいはずなのに。僕も思った時はあります。飲みに行ったりしてる人を見て。複雑ですよね。SNS でもみんなギスギスしてる感じはありましたし、でも、みんなつらいんだなって思うようになりました。



杉浦: 情報量に圧倒されてしまいますよね。どうしたらいいかわからない。なんかもう⋯人と関わりたくないって思って SNS を見ないって時期もあったし。コロナ禍なのにはしゃいで自分のアカウントにアップしてる人とかってなんなの?って思ったりもしたけど、そんなことで一喜一憂してる方が時間の無駄だなって思ったり。なんというか、情報に対して受動的になってしまったというか、どのチャンネルを見ても同じこと言ってるし、飽きたし苦痛だった。ずっと部屋にこもってましたね。

安田: 僕も一回 SNS から離れた時があったんですが、見ないと赤い丸で通知が増えていくじゃないですか。放っておくとどんどんたまっていくんです。でももう「見ない!」って決めましたね。で、2ヶ月くらい経って、連絡がつかないって困ってる友人たちに謝りまくりました。

一同:(笑)

安田: その時感じたのは、意外と自分がいなくても回るんだなって。良くも悪くもですが。というのも、常に誰かに何かを求められている気がして、あれもしないとこれもしないとって思ってたけど、意外としなくてもなんとかなるんだなって。連絡がつかない時期に心配してくれた人たちだけ大切にしたいなって思うようになりました。スッキリしましたね。

前回も話題になった
「怒れる」学生について

熊井: 孤立感があるのに情報は多い。というか、情報が多すぎるからこその孤立感なのかもしれませんね。みなさんそれぞれが違和感に対して対処しようとされていることを感じます。そういった対応の仕方の1つに「怒る」ということもあるかと思うんですが、みなさんは社会に対して怒りの感情が湧いてくることはありますか?

安田: 「若者」でくくるな!って思います。コロナ禍の報道で特に多いんですけど、街で遊んでる若者の声だけ拾い上げて「若者が中心に感染が広がってる」って言うじゃないですか。でも実際昼間に街に出るとおじさんおばさんしかいないんですよ。観光地に行ってもおじさんおばさん。東京は他の地域に比べて若者の人口は多いかもしれないけれど、そういう色眼鏡で「大学生」って決めつけられると、全部オンラインで我慢している自分たちってなんなんだろうって思います。

開沼: それに政治家の説明が曖昧ですよね。「新型コロナウイルス」っていう今まで誰も経験したことのない危機的状況で、頼らなくてはいけないのは国の指針なのに。説明はないのに規制はする。説明を求めても同じ言葉を繰り返す。よくわからないですよね。なんでこの国のリーダーは…と、あんまり怒りたくはないですが、憤りますね。



杉浦: やった感を出すだけの「アベノマスク」とか、もうひどいなって思います。

熊井: 社会や大人への信頼感というのは気になるところです。ところで、みなさんは信用できる大人っています?

開沼:難しい質問ですねー。

田矢:私は一番近くにいる大人として「親」を信用しています。自分で言うのもなんなんですが、すごくいい親で(笑)。いろいろ話せるし、いろいろ支えてくれるし。私をここまで育ててくれたっていうことに感謝してます。

杉浦: うーん。私は漠然と大きな社会に対しては安心感は持てないですけど、1対1で関われる人の中には信用できる人がいて、その人を通じて社会に希望を持つことはできます。でもそういう大人って自然発生的に現れるわけではないと思うので、自分で関係を築いていくしかないんだとは思います。



安田: 僕も同じで、今の社会を作っている大人に対する信用はないですけど、一人ひとりの大人と向き合えれば、別に心の底から悪い人ってそんなにいないんじゃないかって思います。どちらかというと、その人にも事情があって、いろんな皺寄せがあったりとか社会の仕組みがそうさせてしまってるというか。ある側面から見れば悪者だし、別の側面から見れば別に良い人っていうことが多いのかなーと。同じ社会にいながら寄り添い合えてないというか。だから、そういう大人たちの前で STAND UP STUDENTS みたいなメディアを通じて、僕ら同世代の意識が団結することってハッピーだなって思うんですよね。

開沼: 理不尽と戦ってる大人を見ると、信頼できるというか、僕も頑張らないとという気持ちにはなりますね。

私たちは
社会を変えられるか

熊井: 自分たちで社会を変えられるという感覚や手応えはありますか?

開沼: 変えられます。それが「選挙」だと思っています。

杉浦: 変えられるかもしれないけれど、そんなに即効性のあるものではないと思っています。私は具体的な行動やメッセージよりも、想像力をかきたてるアートに興味があって…少しずつだけど変化してるなって思っています。アートがもっと守られて大切にされたらいいのに。



安田: 僕は少なからず変えられるとは思います。僕は教育の現場に進もうと思っていて、僕が死ぬまでにできるかわからないですけど、「何か変えられるかもしれない」と思える人を今より少し増やすことはできると思っています。で、それが⋯僕ら世代のやるべきことなのかなと思ったりしています。

田矢: 私は…ハンガーストライキとか署名とか、そういうことで社会は変わっていくのかなと思ってはいるんですが、自分は関わっていないから、私が社会を直接的に変えるのは無理だって思っています。

熊井: ありがとうございます。変わるとしたらどういう社会がいいですかね?



杉浦: 一人ひとりが抱える「生きづらさ」にもっと寛容な社会だったらいいなって思います。なんて言ったらいいんですかね⋯。無条件に「ここにいられる感覚」があるかないかって大事だと思うんですよね。今なんとかなってるっていうだけで、少しの情報過多でダメになってしまう人もいるじゃないですか。芸能人の自死の報道も増えたなって思うし。遠い話のことではない。なんか⋯なんか、なんか、社会が病んでるって感じました。

熊井: 社会に安心していられる場所があることって大事ですよね。お金を払わないといられない。何かをできるようにならないといられない。競争して勝ち抜かないといられない。特定の誰かに気に入られないといられない。「この条件をクリアしなさい」と常に何かを強いられているような状況はつらいですよね。「無条件にいていいと思える感覚」を持てる居場所。どうなんでしょう。みなさんにとってそのような場所はありますか?そもそも、今日のこのミーティングがそのような時間になれていたらうれしいのですが。

杉浦: 「いていいよ」って言われてる感覚があるかどうかが重要ですよね。

田矢: 私はさっきと同じ話になってしまいますけど、親を信頼しているので家が居場所です。

安田: 僕はゼミが好きで、ゼミの仲間とはいろいろ話せるし、価値観も合うし、居場所だなって感じることはあるんですけど、もうすぐ出ていく4年生になって思うのは、その居心地の良さのまま社会に出てくと傷だらけになるなって(笑)。

開沼: わかる…。自分の感覚はマイノリティだって意識はあって、社会に出たらどのくらい傷つくか…。

杉浦: 私、すごくしがらみにとらわれて、耐えて耐えて耐えたせいでものすごく生きづらさを感じていた時があって、もうどうしようもないって時ある人に「逃げる選択肢も厭わないで」って言われたことがあって、それでボロボロ泣いてしまって⋯。その言葉に救われたんですよね。誰にも伝わらない、と一人で不安になって震えていただけだったなって。

安田: 社会に出たら今度は居場所を作る側にならないといけないんですよね…。

意識高い系って思う人が
もはやマイノリティ

東京新聞 石井: 横からすみません。実は「STAND UP STUDENTS」というメディアを作るにいたったきっかけは、ある学生の体験からだったんです。その学生は大学の教室で新聞を読んだだけで「意識高い」って揶揄されて、それから図書館で隠れて読むようになったそうで…。「意識高い」がほめ言葉にならない社会はよくないなって思ったんですよね。




開沼: わかる。すごいわかる…僕も新聞よく読むので。でも「意識高い系」って揶揄というか、単純に「今はその話してもつまんないから空気読んでやめろ」っていう、そのコミュニティ内のサインだと思うんですよね。なので、そう思われないコミュニティにいればいいだけなのかなって。

杉浦: 私はもともといわゆる意識高い系と言われる「世界の貧困」とか「国際問題」に興味があったんですが、コロナ禍で世界に出れないということもあって、少しずつ世界から国内に、国内から自分のまわりや自分の問題に意識が向くようになりました。そうなると「意識が高いかどうか」っていうジャッジ必要なくない?って思うようになって。自分の人生なんだから、意識の高い低いは関係ないなって。もはやちゃんと考えている人に向かって「意識の高さ」で揶揄する人のほうがもうマイノリティなんじゃないかって思います。

田矢: コロナで直接会える機会が減ったので「意識高い」って言われることも減ったかもしれないです。

熊井: せっかくなので最後に、「変えられるとしたらどういう社会になってほしいか」をもう少し聞かせてもらえませんか?

開沼: すごい漠然としてるかもしれないんですけど…もっと優しい社会にならないかなって思うんです。最近ちょっと厳しすぎますよね。あれもダメこれもダメ、じゃなくて「そういうのもあるんだ」「もっとこうしてみよう」って、相手を尊重まではいかなくてもいいんですが、もっとみんな優しくなってもよくない?って(笑)。

安田: 優しさにつながる話だと思うんですけど、もっとみんな「わがまま」でよくない?って。もしくは成績の5段階の数字や、備考欄にとらわれずに、もっと一人ひとり壁に落書きするみたいに自由に表現していいと思うんですよね。お互いが自由に表現していれば認め合えると思うし、僕はこの先、教育を通じて、そういう場を増やしたい。そのためには自分が与える側にならないといけないんだなって。お茶の飲み過ぎを理由に不採用を出すのではなく、緊張している就活生にお茶を飲ませてあげられるくらいの大人になりたいです(笑)。

熊井: いろいろとまだお話を聞き足りない感じもあるんですが、終了時間も迫ってきました。1年越しにこうして集まってみてどうですか? 焚き火のような時間が過ごせていたらうれしいのですが。

田矢: 私はあまり話せなかったけれど、いろいろな人の意見を聞いてるだけで本当におもしろくて、次があるなら絶対にまた参加したいです。

安田:いやーおもしろかったですね。意外とこうして、なんとなく話すことってないんだなって気づかされました。休み時間に集まってこれやってたらけっこーやばいですもんね(笑)。それこそ焚き火をしながらやってもおもしろいと思うし、渋谷とか東京以外の町でやったらどうなるのかとか、子どもたちだけでやったらどうなるのかとか。またやりたいですね。

杉浦: うーん、なんて言ったらいいんだろ。

熊井: ありがとうございます(笑)

杉浦: なんというか、「希望の会」だなって感じました。

安田: それ、わかります。

杉浦: ただ、たぶん今日集まった人って、自分もそうですが、なんて言ったらいいかわからないなりに自分のことを言葉にできる、もしくはしようと思った人だから、そうじゃない、つまり意見を言いたくても言えない人もいるんだってことを忘れてはいけないなって思いました。あとはこうして話せる場があっても、そこが安心・安全に包まれているっていうことが大事なんだなと思いました。安心して話せる今日みたいな会が、全国のいろいろなところで生まれたらいいなと。

開沼: 安心・安全。わかります。正直、最初、来る前は何を話すんだって警戒してきたんですよ。どんなこと聞かれてもいいようにアンケートもビッシリ書いたし。でも、始まる前に熊井さんが「話さなくてもいい」「言葉を詰まらせてもいい」って言ってくれた瞬間に、うれしかったんですよね。やわらかい場だなって。こういう場があれば社会にとってもいいなって本当に思いました。




熊井: うーん、なんて言ったらいいんでしょう(笑)。これからの社会を考えていくときに、「きっと未来はこうなる」といったような予想は、どこか観察するような態度で他人事のような気もしてしまいます。一方で、「こんな未来にしていきたいな」というのは、予想というよりも希望というニュアンス。未来を自分たちごとにしていくという参加の態度を感じます。きっとみなさんは、より良い未来をあきらめていない。僕もそうありたいな思いました。とはいえ、「こうありたいな」ということは、意外とどう言葉にしていいかが難しいと思うんです。「なんかこれは違うんじゃないか」という、しっくりこなさや違和感のほうが具体的に感じやすかったりもする。だから、そんな違和感も織り交ぜながら未来の希望を感じられるような会話が必要だなと感じています。そこでは、上手く話せるかどうかは気にする問題ではないと思うんですよね。むしろ、今日のようにみんなで耳を傾け合うことがまず大事だったりする。そうすると自ずと思わぬ言葉がからだから出てくることもある。寄り道やお散歩の気分に似ていますよね。そういう気分を持ちつつ言葉を大切にし合うということは、人を大切にすることだと感じました。あの手この手で、この社会にそういう会話を育んでいけたら素敵ですよね。ぜひまたお会いできたらうれしいです。

今日は、ありがとうございました。


第1部のレポートは こちら から

写真:東海林広太

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熊井晃史
AKIFUMI KUMAI
GAKU 事務局長。ギャラリー・とをが共同主宰。NPO法人東京学芸大こども未来研究所・教育支援フェロー。NPO法人CANVASプロデューサーと同時に、慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科・研究員、青山学院大学社会情報学部ワークショップデザイナー育成プログラム・オンライン講座講師を兼務し、2017年に独立。以来、子ども・街・遊びなどをキーワードに、様々なプロジェクトの企画立案・運営を務める。

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熊井晃史 ウェブサイト
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ギャラリーとをが
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