東海林広太
1983年生まれ。2007年よりファッションスタイリストとしてキャリアをスタート。雑誌や広告などを中心に活動する。趣味で撮り続けていた「写真」が話題となり、2014年、写真家へと転身。国内外でコマーシャルの撮影を手がけながら、精力的に展示や写真集の制作を行う。
大切なのはリラックス
まずは行動を
STAND UP STUDENTS がはじまって2年。その間約70人もの学生と向き合ってきたけど、どうでした?
全体の印象としては、友だちと政治の話ができないとか、思いを共有できる人がいないとか「孤独感」を抱えている学生が多かったような気がする。コロナ禍っていうのもあるのかもしれないけれど。シリアスに見えたし、もっとリラックスして考えてもいいんじゃないかなって思うことが多かった。しんどそうだなと。
東海林さんは学生時代、孤独さやしんどさを感じていた?
いや、全く(笑)。
何も考えていなかっただけかもしれないけれど、シリアスになってはダメだってどこかで思ってた。リラックスしていないといざという時に重要な判断や大胆な行動ができないなって。常にどうすればリラックスできるか考えてたかも。
20年前は SNS もなかったし、情報が今みたいにあふれていなかったから、今ほど考えるきっかけがなかったかもしれない。
なんでも調べれば出てくるし、知らなくてもいいことも流れてくる。明らかに情報過多だよね。調べたところで不確かだし、わからないことが多すぎれば不安になるのは当然で、疲れちゃう。シリアスになりすぎる。それで孤独を感じるんじゃないかな。本来 SNS って孤独を紛らわすためのものだったはずなのに、不思議だよね。実はすごい限られた狭いコミュニティだし、知らなくていいことの方が多いのに(笑)。
STUDENT VOICE の撮影では写真を撮られている学生がみんな少しずつ心を開いていく感じが見ていて印象的だったけれど、レンズ越しに学生たちとコミュニケーションをとって感じたことはありますか?
ひとくくりにしたいわけではないけれど、みんな共通して「しっかり考えているな」っていうのが伝わってきた。もちろん自分の考えがあるから参加してくれてるんだとは思うけれど。言い換えれば慎重過ぎる印象。石橋をしっかり叩いて確認してから渡る、という感じの学生が多かったのかな。それが悪いことではないとは思うんだけど「とりあえずやっちゃえ」みたいな話がもっと聞けるかと思ってた。何も考えずにやれるって10代20代の特権だし、ミスしても何回でもやり直せる年齢だと思うから、話していても「悩んでいないでまずやってみたら?」って思うことが多かったかな。就活もそうだけど「ミスできない」っていう感覚があるんだろうね。
新卒で就職しないとダメだと感じている意見も多かったし、同調圧力という言葉もたくさん出てきたけれど、他の人と違うことをすることを「ミス」だと捉えてしまう学生も多かった気がする。
写真を撮られる時にも出ていたと思う。カメラを向けられても頑なに姿勢を崩さないとか、笑わないとか。自分の中でイメージしている理想があって、それを守るというか。信用されてないなーって思うこともあったよ (笑)。
特に印象に残っている学生は?
うーん。「なんて言ったらいいんだろミーティング」の第1部に参加していた甲斐崎さん。パレスチナのことが知りたくてチケットを取って現地に行ったって話を聞いていいなと思った。1つの社会問題に対してたくさん考えることや、本やSNSで知識をつけることや、それを議論することも大事だけれど、「行動すること」がどれだけ説得力を持っているのかが、あの時証明された気がした。
それと彼が言ってた「社会は変えられないかもしれないけれど、1人でも多くの人に知ってほしいと思った」って言葉には説得力があったし、会場にいたみんなにも伝わっていたと思う。写真でもそうだけれど、フィジカルに「知覚すること」って大事なんだと改めて気づかされたな。
確かに留学やボランティアで自分ごととして体験している学生の声は印象強かったかもしれない。ただ、人によって、環境によって「知覚する」機会の有無に差があると思うのも確かで。例えば、これを読んでいる学生たちが知覚するためにはどうしたらいい?
知覚って別に留学しなくたって日常生活の中でも意識すればできると思うんだよね。例えば政治について友達や家族と話してみるっていうこともそうだけど、反対の意見を言われるかもしれないし、言いづらいから話さないじゃなくて、まず話してみて、反応を知覚するとか。反対の意見を言われて「なんか違う」って感じるかもしれないけれど、その違和感が精神的な体幹を鍛えていくというか。
共感してもらうっていうのは居心地がいいし、解決への近道かもしれないけれど「なんか違う」って思いながら遠回りして見える景色も良かったりするから、もやもやするかもしれないけれど、まず行動に移してみて、違和感を蓄積させてから熟考した方がいいんじゃないかな。
まず行動するっていうのが大事かもしれない。橋が崩れた時にはじめて痛みを知るというか。痛みを知っていると社会に出てから、しなやかになれる気がしますね。
そうだね。違和感や痛みの蓄積は、相手を「思いやれる」っていうことにもつながる気がする。共感ばかりのコミュニティにいると他者を攻撃してしまってることにも気づけないっていうのがよくあるよね。
確かに。そういう時は決まってシリアスになりすぎてるかも。
できるだけリラックスして、やりたいと思ったことがあったらまずやる。おかしいと思ったら考える。ダメそうだったら次!じゃダメなのかな? 自分はずっとそうしてきたけど、そうもいかないのかな(笑)。
いかに「好き」が勝つか
スタイリストとしても順調だったと思うし、30歳を過ぎて写真家に転職するってとても勇気のいることだと思うんだけれど、写真家を目指してダメだったらどうしようって思うことはなかったですか?
なかったかな。なるようにしかならないって思っていたし、写真はとにかく好きだっただけで写真家になるために撮っていたわけではないから、「写真家になりたい」って思ったタイミングはないんだよね。スタイリストをやりながら好きで写真を撮って SNS にあげてたら、それが友人や知人の間でクチコミで広まって、ちょうど Instagram で写真を見るというカルチャーが根付いたタイミングだったっていうのも大きかったと思う。最初は自分でスタイリングをして写真を撮っていたけど、そのうち写真を撮ることが仕事になっていったっていう感じ。
でもクライアントに依頼されて撮るコマーシャルの写真だけでは5年、10年先の自分のイメージができなかったし、<ファッションフォトグラファー>ってくくられるのも違和感があって、最初はずっとコンプレックスだった。
それに抗うかのようにものすごい数の写真を撮っているなと。東海林さんというとセンスの良さが評価されがちだけれど、実はものすごい量を撮って経験を積んでいる。展示を見た時も取り憑かれたように撮っているなって(笑)。
そうだね。ただ「写真を撮る」っていうことが当たり前になりかけていて、このままではただ消費されるだけで、「自分らしい写真」なんて何も撮れていないと思ったんだよね。そこから少しずつ自分の写真というものを意識するようになって、展示や制作を重ねたりしながら、今でも考え続けてる。
最近は肩書きは関係ないって思うようになったし、この先、写真家じゃなくなってるかもしれないと思う。それでもダメだったらどうしようとかっていうのはいずれにせよなくて。好きなことをやる。嫌なことはやらない。もしくは全力で避ける。
30歳過ぎてからでも遅くないっていうのはすごく勇気をもらえるかも。ちなみに学生時代は就活はしましたか?
全然だなー。とにかく当時は進学さえ全く考えてなくて、大学に行かずに美容の専門学校に行ったんだけど、在学中に「合わないな」ってすぐわかって(笑)。もともと興味があったファッションの道に進もうと。スタイリストになろうと思ったんだけど、アシスタントの給料って当時安かったから、アパレル会社で働きながらなんとかアシスタントを続けられるくらいの貯金をして、それでようやくアシスタントに。独立しても最初はなかなか仕事がなかったね。まぁでも他の選択肢は思い浮かばなかったし、スタイリストがダメだったらまた別の道を考えればいいって思ってたかな(笑)。だから続けられたのかも。
逆に言えば好きなことに忠実で、自分に向いてることを見極めてきたから続けられたとも言えるのかも。向いてないとわかったらすぐやめるとか、意外とできない。
そうかもね。でも、人生において仕事に向き合ってる時間って長いわけだし、どうせなら向いてることをやった方がいいし、楽しい方が良くて⋯ビビってる場合じゃないというか。結果論に聞こえてしまうかもしれないけれど、行きたい方に行ってみて、もし「嫌」だったら別の道を選べばいいやって考えだったなあ。才能の有無とかじゃなく、好きならなんとかなるって思ってた。でも今は SNS で「そっちの道は危ない」ってあらかじめ教えてくれる人たちがたくさんいるんだもんね。そりゃ悩むか。
でも、好きなことがあるのに道を恐れてあきらめてしまうっていうのはもったいない。
確かに。でも、どの道にも人生を懸けるからには苦しさは絶対にあるはずで、その苦しさに対して、いかに「好き」が勝つかってことだと思うんだよね。写真やってても、好きなことをやれてるなって思うけど、楽だなとは思わないわけで。
やり方はそれぞれ
想像することが大事
ちなみに SNS ってどう向き合ってます?
基本的には Instagram は少しでも多くの人に自分の写真を見てもらえたらっていう使い方。写真に言語は関係ないから、海外の人たちにも見てもらえるというのが大きいかな。Twitter は文章をアップすることもあるけれど、あくまで日々の創作のためのメモで、その時、自分が何を思ったかをありのままで書くことで、第三者の反応を楽しんでる。自分と違う意見や意図しない反応が自分のことを改めて考えるきっかけになったり。
STUDENT VOICE では、SNSでニュースを見るという学生が圧倒的に多かったけれど、東海林さんは何でニュースを見てます?
Twitter で気になってるアカウントをフォローして知ることが多いかな。でもSNS だけで情報を追いかけたら無限だし、いちいち拾っていても疲れると思うから、SNS はあくまできっかけで、気になるニュースがあったらそれについてインタビューやコラムを探したり、関連する本を取り寄せてゆっくり時間をかけて読むことが多いかも。新聞もそうだと思うけど、そういうのは誰かがちゃんと取材して編集してくれているから、SNS より情報の深度があるなって。でも、それも誰かの視点の1つだなって思うようにしてる。あくまでガイド。
例えばあのニュースが気になっているとか、時事的なことを自分の作品に反映したりっていうことはする?
そういう写真家もいるけれど、自分の場合はそれが自分にとって個人的なことと思えるかどうかが重要。今起きてるロシアとウクライナの問題とか、社会的な出来事を知ることはもちろん大事だし、ニュースとしては気になるけれど、正直、自分が知覚していないものにリアリティを感じることができなくて、わからないことが多いのに無責任に語ったり表現したりすることは自分はできない。だからと言って何も考えていないわけでもなくて。想像することは大事だと思ってるから、想像することだけはしてるつもり。社会的なことでも身のまわりの些細なことでも、なるべく他者を想像するってことは意識しているつもり。
わかる。学生とか関係なく、そういう人、多いと思うんですよね。でも一方で「とにかく声を上げるべきだ」という意見もあるし、表現やアートに社会を変える可能性を見出す人もいるし。
うん。でも、やり方はそれぞれでいいのかなって思う。デモに行く人、署名する人、SNS に書く人、作品にして表現する人、何もしない人。向いてるやり方があればそれをやればいいんだと思う。だから社会的な問題が自分の問題として捉えることができた時に「写真」になることはあるかもしれないけれど、今のところはないかなー。でもそれもわからない。いつか変わるかもしれないし。
新聞は読んでます?
購読はしていないけれど、あれば読むかな。実家とか喫茶店とかホテルのロビーとか、あったらなるべく積極的に読もうとしてるかも。でも朝とか決まった時間に読むわけじゃないから雑誌を読む感覚に近いかも。コラムとか、いろいろな視点があっておもしろいよね。
新聞には日々、いろいろな写真が掲載されていて、写真を見るのも1つの楽しみなんですが、東海林さん的に写真という観点で新聞を見るとどう感じます?
写真のジャンルとしては最高峰だと思う。報道写真って歴史を語る上でも重要だし、数々の名だたる写真家や作品が、報道から輩出している。取材して調べて、その場に足を運んで撮るっていうのは報道も作家も共通する写真の本質だよね。しかも危険なところに行くこともあるわけで、毎日のように向き合ってるのはリスペクトしかないというか。知覚の話につながるけれど、ものすごい身体性をともなってフィールドワークをしているのは本当にすごい。
一度、新聞社のカメラマンの人の話を聞いてみたい。どういう機材を使ってるのかとか、どういう気持ちでシャッターを切るのかとか。すごく興味がある。
好きだって思えること
四六時中ずっと考えていること
最後に学生にメッセージをお願いします。
何回も言うようだけど、リラックスした方がいいと思う(笑)。就活とか社会問題とかもちろん大事だし、危機感があるかもしれないけれど、まず自分が何が好きで、何をやりたいのか、あとは世の中の何が嫌で、どうやったらそれを避けられるかということを考えるのにもっと時間を使った方がいいと思う。シリアスになりすぎると自分が好きなことすら見失ってしまう。
自分が何をやりたいか、何が好きかにさえ気づけない人も多い気がするけれど、その場合、どうしたらいいですかね?
自分なら本を読んだり映画を見たり音楽を聞いたりするかな。美術館に行ったりただ近所を散歩するのも大事だと思う。あとは誰でもいいから人に会いに行って話をする。その中で、少しずつ「これに興味があるかも」とか「好きかも」って思うことで、できるだけ頭をいっぱいにするといいと思う。誰かにとっては「過剰」に見えるかもしれないけど、自分にとっては自然で、心地がいいってことに出会えたらいいと思う。そういうものって続けられるし、向いてるってことだから。
無意識でも「自分はこれを四六時中ずっと考えているな」ってことに気づければ、それがいつか仕事につながったり、社会問題に対するアクションにつながったりするかもしれない。少なくとも自分のまわりには好きなことで頭がいっぱいな人たちがたくさんいて、そういう人たちはみんな一緒にいておもしろい。
確かに学生でも好きなこと、興味のあることに対して夢中な人は輝いてますね。
「そんなのわかってる」って思うかもしれないし当たり前の話かもしれないけれど、意外とみんな外に目は向いてるけれど、自分の「好き」には自信を持ててないんじゃないかなって。「何かになりたい」って思う前に、将来を考えて不安になる前に、好きなことに対してもっと誠実になって、それで頭いっぱいにしてみるといいかも。死に物狂いになれること、見つけてほしい。
だって将来どうなるかなんて自分の力だけではコントロールできないと思うんだよね。敷かれたレールで順当に進んでもダメかもしれないし、全然思いも寄らないことで急に花開いたりする。なんとかなるというか、なるようにしかならないというか。だから、自分の理想や不安は置いておいて、まずは目の前の「好き」だと思える世界に飛び込んでほしいなって思う。
自分ならそうする。
写真:東海林広太
記事公開日:2022年4月1日
現在、北海道の美唄(びばい)という場所で展示をしています。約1年間美唄に通いながら、町のことを調べたり、地元の人たちと関わり合いながらその時間の中で撮影をした写真を2カ所で展示しています。取材のように足を運んで知覚する「フィールドワーク」という手法で制作をしたのははじめてだったけれど、いい経験になったし、「場」について考えることが増えました。 ぜひ北海道に来る機会があれば、展示を見てみてください。
— 東海林広太
【 展示情報 】
東海林広太 青山卓矢 写真展
「SOMEWHERE」
(2会場での展示になります)
第一会場 安田侃彫刻美術館
アルテピアッツァ美唄ギャラリー(木造校舎2階)
2022年3月19日〜4月17日
OPEN 9:00~17:00(火曜休館)
第二会場 美唄郷土史料館
2022年3月19日〜4月15日
OPEN 9:00~17:00(月火曜休館)
最終日は15時に終了
問い合わせ
info@ko-ta-shouji.com
- 東海林広太
- KOTA SHOUJI
Instagram:@ko_ta_s
http://ko-ta-shouji.com
【 過去の展示 】
2017
「Beautiful」SOYCHANG empty space
「つぎのblue」MARcourt DESIGNEYE
2019
「go sees」UltraSuperNew Gallery
「過去に写した時間誰も知らなかった写真について」PARK GALLERY
「青い光」VOID
「happen」zakura
2021
「everything matters」The wall ,samva,zakura,Skool
「unknown」UNDER THE PALMO HAYAMA
「あの窓とこの窓は繋がっている」same gallery