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STAND UP STUDENTS Powered by 東京新聞

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いま、わたしたちのまわりで、
起きていること。

毎日の勉強や、遊びに恋愛、就活。普段の暮らしの中では見えてこないたくさんのできごと。環境のことや政治、経済のこと。友達の悩みも、将来への不安も。小さなことも大きなことも全部、きっと大切な、自分たちのこと。

確かなこと。信じること。納得すること。コミュニケーションや、意見の交換。
あたりまえの自由さ、権利。流れてきた情報に頼るのではなくて、自分たちの目で耳で、手で、足で、感動をつかんでいく。

東京新聞『STAND UP STUDENTS』は、これからの社会を生きる若者たちに寄り添い、明日へと立ち向かっていくためのウェブマガジンです。等身大の学生たちのリアルな声や、第一線で活躍する先輩たちの声を集めることで、少しでも、誰かの明日の、生きる知恵やヒントになりたい。

時代を見つめ、絶えずファクトチェックを続けてきた『新聞』というメディアだからこそ伝えられる、『いま』が、ここに集まります。

先輩VOICE

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中村真暁
MAAKI NAKAMURA

SNSやインターネット上にたくさんの情報があふれる一方で、情報に『確かさ』を求める若者たちも増えています。そんな中、毎日のように記事を書き、情報を発信する役割を担う新聞記者はどのように情報を手に入れているのでしょうか。2児の母で、東京に暮らしながら、社会や町、人に寄り添うように取材し、確かな情報を発信し続ける東京新聞の記者・中村真暁(まあき)さんに、記者という仕事のこと、情報との向き合い方について、聞いてみました。

新聞記者って普段どんな仕事をしているんですか?

東京新聞の社会部の『東京ニュース』というチームに所属していて、担当している区がいくつかあるんですが、その地域のトピックを拾って発信するのがメインです。あくまで私の場合ですが、実際に子育てをしながら、必要な情報や問題点や解決策を集めて、ひたすら記事を書きます。毎日出社するという感じでもなく、カフェやコワーキングスペースなどで原稿を書くことも多いです。体験から見えてくる問題もあって、取材先さえ良ければ現場に子どもを連れていくことも。会社も子育てには寛容で、テレワークも認められていますし働きやすいと思います。チームや地域に限らず『貧困問題』や『障害』など、関心のあるテーマを書くこともあります。

情報はどうやって発掘するんですか?

最近だとネットや SNS で情報を見て、興味を持ったら取材して深掘りすることもありますが、基本的にはオンライン上だけで完結させずにアポを取って会いに行って話すようにしています。重視しているのは普段から交流のある地域の人たちとの会話や、信用している人たちから寄せられてくる情報です。例えば、市民の集まりとか、炊き出しの現場とか、積極的に人に会いに行って話をすると、ネットで見るよりも問題の重大さや思いなどが深く理解できますよね。「困ってるんだよね」って直接言われると、なんとかしたくなるし、基本的には人として優しくありたいというか。

中村さん自身はどうやってニュースに接していますか?

職業柄、ニュースに敏感じゃないといけないので、まず、朝は自宅で新聞を3紙じっくり隅々まで読みます。その後、会社や図書館で他の新聞の読み比べを。同じニュースでも新聞によって伝え方が違うのでいろいろと参考になります。夫が他社の新聞記者なので、直接気になってるニュースについて話し合うこともあります。あとは、テレビはあまり見ないんですがラジオは聴きますね。家事もしなくてはいけないので、作業しながらできるラジオは重宝しています。新聞に載っていない情報を専門家と深掘りしていて、新聞とは違った切り口で参考になったり。SNS は地域のアカウントや関係団体をフォローしたりつながったりして、情報を得てますね。

気になるジャンルはありますか?

子育てをしているので、シングルマザーや虐待、待機児童の問題とか、育児関係のニュースは意識して見るようにしています。あと、私自身が摂食障害の当事者なので『生きづらさ』を抱えてる人たちとの交流が多く、自然と情報が集まってくるということもあります。生きづらさのジャンルはそれぞれ違っても、根本的に共感できることが多くて、他人事とは思えないんですよね。生きづらさを抱えたまま孤立してしまい、経済的に苦しくなる人も少なくないと感じていて、生きづらさの問題と貧困問題はリンクしているようにも思います。でも、そうした貧困問題や心の問題って見過ごされてしまう課題であることも多くて。私が書かないとっていう思いもあります。社会的な課題は結局友人や自分につながってるというか、すぐ近くにあるというのを感じていて、どうにかしようって問題提起したくなるんです。なので、問題に直面する人たちから話を聞いて記事を書いて発信する新聞記者になったのは自然だったのかなと思います。

記者になろうと思ったきっかけは?

大学の2年生あたりから記者になろうとは思っていました。ただ、専攻していた学部がジャーナリズムとも関係していたというのはあったんですが、これとしたきっかけがないんですよね(笑)。昔から文章を書くのも読んでもらうのも、話すのも、自分と違う立場の人の話を聞くのも好きで、映画で気になったロケーションがあったら国内だろうと海外だろうと現地に行って実際に見てみたいと思うところもあって、「ホテル・ルワンダ」と「ナイロビの蜂」を続けて見たときは、ケニアまで行きました。自分の『好き』が全部できる仕事って考えたら記者の仕事かなって思って、自分の中でつながったんですよね。ただ、新聞記者になるには社会問題に関する知識と、文章力を試す筆記試験をクリアしないといけないので、とにかく社会のことをいろいろ知るためにひたすら新聞を読みまくりましたね。

新聞記者以外の道は考えたことはありましたか?

私が東京新聞に入ったのって春採用ではなく秋採用だったんです。春の試験で落ちてしまってからは、まわりはどんどんスーツを脱いでいくし、夏休み中も私だけ試験勉強してて、暑いのにスーツ着て…。あまりにもつらくて、他の業種へ迷ったり心も折れそうになりましたね…。アートも好きだったので、アート系の雑誌を読んで美術館で働けないかな?とか。映画も好きだったので配給会社とか。テレビ記者の試験も一度受けてみたんですが、心ここにあらずというか、やっぱり新聞がいいなと。それで運が良かったのか、なんとか秋に採用していただいて…。でも今思えば視野が狭かったなって。その秋で就職が決まらなければ人生終わってしまう!くらい思ってましたからね(笑)。

社会に出てみると、『やりがいのある仕事』っていっぱいあるなって。転職だってできるし、チャレンジできる。日本だけじゃなく海外にも可能性はあるし。新聞社は新卒じゃなくても、28歳くらいまでは採用しているし、転職してくる人も実際に多いですしね。いろんな人に話を聞けば聞くほど、一つの将来像に固執しなくてもよかったんだなって。

新聞記者になってからの迷いはなかったですか?

新聞記者を辞めたいっていうことはなかったですね。仕事でつらくてもまわりの仲間や上司が支えてくれたり。入社してわりと早い段階で子どもが生まれたんですが、育休も復帰もスムーズで。東京新聞でよかったなと思います。

みなさんに共通で聞いてるのですが『新聞』に対して思うことってありますか?

『新聞』に対して思うことですか。う〜ん(笑)。まぁ記者としてなんですが、新聞って限られた紙面の限られた文字数の中に、真実というか自分の見てきたことや感じたことを詰め込まなくてはいけなくて、なので、集めた情報を削っていく作業なんですよね。もっとここを伝えたいなというフラストレーションがあるときもあります。でも最近では子育てサイトの『東京すくすく』など、文字数制限をあまり気にせず書ける媒体も社内にあるので、うまく使い分けする方法もありますね。ただ、新聞に載っている情報はそれだけ洗練された情報であることを読者の方たちには知ってもらいたいなと。

あとは、子育てを通じていろいろなママやパパたちに会うんですが、新聞をなかなか手にとってもらえてないなっていうのがもどかしくも寂しくありますね。子どもたちと話す機会があっても、もうみんな新聞って知らないんですよね。若い親御さんたちが新聞を取ってないことが多いんだなって。ネットだけだとフェイクニュースが流れてくることもあるし、鵜呑みにしてしまう人も出てしまうんですよね。少しでも確かな情報や、自分の住んでいる地域の子育ての情報を得たいならなおさら東京新聞はいいなって思います。

新聞記者って本気で情報を取りに行ってますし、私も少しでも小さな声を届けたいと思ってます。暮らしに寄り添った一次情報をしっかりと調べた上で届けられてると思っているので、信用できると思ってます。だから、家事や育児で忙しく、時間がない人にももっと届けたいと思いますね。気になったことをすぐにスマホで調べられる電子版などもあるので、幅広く読んでもらいたいです。

記事公開日:2021年4月14日

中村真暁
MAAKI NAKAMURA
中日新聞東京本社(東京新聞)社会部記者。石川県津幡町出身。明治大学情報コミュニケーション学部卒業後、2009年に中日新聞入社。富山支局、北陸経済部などを経て2017年から現職。東京のローカルニュースを発掘する担当で、生きづらさや貧困問題などのテーマに関心を寄せている。

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