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STAND UP STUDENTS Powered by 東京新聞

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いま、わたしたちのまわりで、
起きていること。

毎日の勉強や、遊びに恋愛、就活。普段の暮らしの中では見えてこないたくさんのできごと。環境のことや政治、経済のこと。友達の悩みも、将来への不安も。小さなことも大きなことも全部、きっと大切な、自分たちのこと。

確かなこと。信じること。納得すること。コミュニケーションや、意見の交換。
あたりまえの自由さ、権利。流れてきた情報に頼るのではなくて、自分たちの目で耳で、手で、足で、感動をつかんでいく。

東京新聞『STAND UP STUDENTS』は、これからの社会を生きる若者たちに寄り添い、明日へと立ち向かっていくためのウェブマガジンです。等身大の学生たちのリアルな声や、第一線で活躍する先輩たちの声を集めることで、少しでも、誰かの明日の、生きる知恵やヒントになりたい。

時代を見つめ、絶えずファクトチェックを続けてきた『新聞』というメディアだからこそ伝えられる、『いま』が、ここに集まります。

STUDENT NOTE

14
スダハンナ
Hanna Suda

小さな声に耳を傾け、社会のこと、これからのこと、身近なことを一緒になって考えていくために、学生が書いたエッセイを『STUDENT NOTE』としてお届けしています。

日々の暮らしの中で思ったこと。SNS やニュースを通じて感じたこと。家族や友人と話して気づいたこと。もやもやしたままのこと。同世代の学生が綴る言葉が、誰かと意見を交わしたり、考えたりする<きっかけ>になればと思っています。

第14回は、自身でギャップイヤーと名付けた高校卒業後の2年間と、留学先のドイツでの体験から気づいた違和感について考えるスダハンナさんのエッセイです。

私たちはちがって、
みんなつながっている


文・スダハンナ
絵・おざわさよこ


バスに乗ってスマホを見ると、友達から連絡が来ていた。

「就活始まったけど、2年間ほぼオンラインだったのに突然何したいかなんて分かるわけないよね」

時差を確認して日本は深夜前だったので電話をかける。友達は起きていた。

「社会の流れと全くずれてるけど、色々考えながらなんとか生きてるよ」

私が言うと、

「最初はどうなるか心配してたけど、そういう風に生きれてるんならなんか大丈夫かもね」

そう言って友達は笑った。

私は2020年3月に高校を卒業し、学生の肩書きを捨ててその後の2年間を勝手にギャップイヤーと名付けて過ごした。

2020年、動きの凍ったコロナ禍の社会とは反対に、どこにも所属していなかった私は動きやすく、山小屋でアルバイトをしながら進学先を計画していた。その時見つけたドイツのほぼ無償の高等教育に感銘を受け、1年介護のバイトをしながら語学などの準備をして2022年の6月に最終試験のために渡独。合格して10月に入学して現在に至る。

私の大学は視覚芸術に特化した美術大学で、視覚芸術と言ってもやる事は人によって彫刻やインスタレーションなど様々。私はそれと言ったテーマはまだ決めずに、工房の新しい道具を試したり、作品の素材を街に出て探したりしている。

必修の講義がない日の昼頃に大学に行くと、朝はそれぞれの工房に散らばっていた学生が食堂に集まって賑やかだ。私のクラスには高校卒業からすぐに来た人はむしろ少なく、子連れの人、途中で2年休みを挟んで復帰した人など、入学までの背景は多様だ。年齢層も広く、大人になってから改めて学んでいる人もいるし、長期で在籍している人も多い。

ここまで話して同じ状況の人はなかなかいないが、当初、高校卒業後の道に考えていたのは日本の美術大学を受験する事だった。元々勉強は嫌いではなく、その中でも美術が好きだったから迷いはなかった。

しかしホームページで見た試験内容は、予備校での準備がないと受験すら難しいものだった。高校の美術の先生からも少しでも試験のための練習はした方がいいという話を受けた。試験ですら重苦しいのに、『美大受験』は、さらに大きな壁となって私の将来に立ちふさがった。突然自分の未来に希望が見えなくなったような感覚だった。


まず最初に頭に思い浮かんだのは、おかしいという憤りだった。教育がお金で買えるような現状は中学受験の頃から感じていて、反対しながらその流れに飲まれるのは嫌だった。選ばないことも選択のひとつだ、そう考えてまずは1年自由に使うことを決めた。

私の大学には学費はない。その代わりに学生は美術展やコンサートなど学校以外の社会活動にお金を使っている。美大生にとって学費のために制作費を節約しないで済むのも、制作する上で大きな違いがあると思う。大人になっても学び続ける選択肢があったり、人生のプランをゆとりをもって立てられるのもいい。学ぶ時に学費のことを心配しなくていいのは社会から背中を支えられているような安心感がある。

こういう選択が日本でもできたら、高校生の私が見た社会の印象はもっと明るかっただろう。それぞれの置かれた状況は自分で選ぶことができないのだから、学費が学び続けることを阻む壁になってはならないはずだ。学びたい気持ちがあれば、経済状況に左右されることなく学び続けられるように、高等教育まで無償化にするべきだと思う。新しいことを学ぶと、次の一歩を踏み出すのが楽しみになる。

とはいえ、場所が変わっても人は簡単に変わるわけではなく、私の毎日は日本にいた時とあまり変わっていない。たまに寝坊もするし、大学の講義も含め生活の全てが母国語ではない分、将来像はより曖昧かもしれない。それでも私は息がしやすいと感じている。

高校在学時、2年間のギャップイヤーを計画している途中、驚くことに先生だけではなく、多くの友達が私の行く末を心配した。その言動の背後に社会のレールを外れる事への大きな不安を感じた。「うちだったらたぶん親が賛成してくれないよ」と言う友人すらいた。私の家族は幸いにも私の意見を尊重してくれたが、家にいれば嫌でもほぼ毎日会うわけだし、大きなサポーターでもある彼らに反対されたらつらい。

実際、高校受験から大学などの一般的な流れを外れた人への風当たりは強い。社会に対する「生産性」を測られている感覚とも言えるかもしれない。2年間のギャップイヤーの大半をバイトと両立して生活していた私でも、ふとたまに社会から疎外されたような寂しさを感じ、寝る前に布団の中で芋虫のようにもがいた夜が何度もあった。

この2年間は私自身にとって大切な期間だった。学校にいては辿りつかなかった場所と人々との出会いが、確かに現在の私を支えてくれている。学校という特定の場所に属さない代わりに、私はできるだけコミュニティに参加する努力をしたが、肩書きのない自分が自己紹介をする時、まだ自分のような状況の人は少なく、受け入れられていないんだと肩身の狭い心地がした。

同時にそういうふうに思わせる社会こそちょっとおかしいのではないかとも思った。民主主義なら、私のように社会の枠にはまっていない人も同じ船の乗組員として認められているはずなんじゃないだろうか。既に私は社会の一部なのに、その社会から規格違いだと疎外されるというのもおかしな話である。


現在私が住んでいるドイツの町は特に移民が多く、人の様々な違いは日本より分かりやすい。街に一歩出るとたくさんの言語、色々な状況、様々な食べものにおいがする。先月近くに住む日本人の友達の家に遊びに行ったら、同じ日本人でも食文化が全く違い、実際は日本の中にもたくさんの違いがあって、人によって見える景色はまったく違っていることに気づく。馴染んだ土地や環境、知っている人、それぞれが違った絶妙なグラデーションの中に生きているのに、その違いは見えにくく、つい忘れてしまう。

電車も日本と比べるとよく遅れる。5分の遅延も珍しい日本の電車は、多くの人が社会に対して責任を持って生活しているからこそ成り立つ便利な日本社会のいいところだなと思う。くぐもった遅延のアナウンスを聞いていたら雑踏の波の中から久しぶりに日本語が聞こえて嬉しくなったり、ものすごい種類のパンが並ぶパン屋さんで食べたいパンがなかなか伝わらず、身振り手振りと指さしで必死に注文しながら私は思う。私たちはみんな違っていて、その中で理解しあえることがむしろすごいことだ。

そんなふうに、全く違う場所に置かれて、今まで気づかなかったことが発見される毎日だが、じゃあこの社会を改善するにはどうすればいいんだろう、という問いが頭の中に浮かぶ。

日本社会という大きい枠組みで考えると息が詰まる感じがして、途端に動けなくなってしまうなと困っていた時、1960年代にフェミニズムでうたわれたスローガンを思い出した。個人的な問題は社会の問題である。個人の問題は社会の問題であるように、個人でできることをしたら、少しずつ社会は変えていけると私は思う。まずは自分から、規格外でもそのまま構わず自分はここにいると主張し続ける。

いつかその道を見た誰かが合流してくれるかもしれないし、こんなふうに生きる選択肢もあるのかと少し心が落ち着くかもしれない。そして自分の友達。2人いればそれはもう小さな社会のはじまりだ。自分と友達だけでも、それはすでに社会の一部分であり、あなたが友達を喜ばせたら、社会の一部が少し明るくなる。

みんなが自由に生きられる社会って難しい。だけど考えることはやめてはいけない。いまはすこし離れた場所で、私は今日も考えながら生活している。

2023年3月17日

※ エッセイへのご感想やご意見がありましたら STAND UP STUDENTS の公式インスタグラム へ DM でお送りくだくか、匿名でも投稿できるフォームにお送りください。STAND UP STUDENTS では、今後も、学生たちがさまざまな視点で意見や考えを交換し合える場や機会を用意していきます。お気軽にご参加ください。

スダハンナ
Hanna Suda
2001年、群馬県生まれ。高校卒業後アルバイトや進路を考えるために2年間をギャップイヤーとして過ごす。山小屋でのアルバイトをコラムとして書いたのをきっかけにスダハンナとしてライターを始める。その後、介護士として働きながら東京・神田の美学校で現代美術を学び、2022年にドイツに渡航。10月からドイツの美術大学で視覚芸術を学びはじめ、現在に至る。芸術と他文化を通して他の側面から日本社会を捉え直す事に興味を持っている。夢は馬と一緒に暮らすこと。

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イラスト:おざわさよこ
https://www.instagram.com/sayoko_125/

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