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STAND UP STUDENTS Powered by 東京新聞

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いま、わたしたちのまわりで、
起きていること。

毎日の勉強や、遊びに恋愛、就活。普段の暮らしの中では見えてこないたくさんのできごと。環境のことや政治、経済のこと。友達の悩みも、将来への不安も。小さなことも大きなことも全部、きっと大切な、自分たちのこと。

確かなこと。信じること。納得すること。コミュニケーションや、意見の交換。
あたりまえの自由さ、権利。流れてきた情報に頼るのではなくて、自分たちの目で耳で、手で、足で、感動をつかんでいく。

東京新聞『STAND UP STUDENTS』は、これからの社会を生きる若者たちに寄り添い、明日へと立ち向かっていくためのウェブマガジンです。等身大の学生たちのリアルな声や、第一線で活躍する先輩たちの声を集めることで、少しでも、誰かの明日の、生きる知恵やヒントになりたい。

時代を見つめ、絶えずファクトチェックを続けてきた『新聞』というメディアだからこそ伝えられる、『いま』が、ここに集まります。

STUDENT NOTE

12
野津眞衣
Mai Notsu

小さな声に耳を傾け、社会のこと、これからのこと、身近なことを一緒になって考えていくために、学生が書いたエッセイを『STUDENT NOTE』としてお届けしています。

日々の暮らしの中で思ったこと。SNS やニュースを通じて感じたこと。家族や友人と話して気づいたこと。もやもやしたままのこと。同世代の学生が綴る言葉が、誰かと意見を交わしたり、考えたりする<きっかけ>になればと思っています。

第12回は、「日本の若者は自己充足的だ」という言葉への違和感に向き合い、自分たちと社会の関係を見つめ直そうとする野津眞衣さんのエッセイです。

「自己充足的」って、ダメですか?

文:野津眞衣
絵:NATUMI

いつだって、私は「自己充足的」だった。

幼いころから読書が好きで、たくさんの言葉や感情に触れてきた。比べたことも比べようと思ったこともないけれど、人より言葉に貪欲だった。面白そうなタイトルの本を見つけたらとりあえず買ってみたり、響きのいい表現をノートに書いてみたり。好きな漢字を組み合わせてまだ見ぬ子どもの名前を考えたりもした(おそらくキラキラネームの類に入るけれど)。

好奇心のままに本を読み、多くを知り、そして、満足して終わり。吸収した知識で周りの人や世界を動かしたいとは思わなかった。気になるから読む、素敵だと思ったから心に留めておく。ただ、それだけだった。自分の中で物事を完結させ、自分で自分を満たしていた。

いつだったか、近所の図書館で上限いっぱいに本を借りて、その数時間後にすべて読み終えたことがあった。お気に入りのミステリー作家の最新刊、目次に惹かれた見知らぬ作家のエッセイに、若手社会学者の現代社会論。ジャンルを問わず内容が気になるものを手に取って、胸を躍らせながら帰宅して、気がついたら読み終えた本が山を成していた。そんな私を見た母は、「もったいない。早く読んじゃうなら感想文でも書いて、賞に応募したら?」と呆れ顔で言った。「誰かのために読んでるわけじゃないもん。面白ければそれでいいの」と答えたことを覚えている。

そんな私にとって、大学入学は変化のきっかけだった。高校までのような「生きていくための知識を得る場所」とは違って、大学は「どう生きていくのか」を考えるための場所だった。そして、自分の生き方を考えるということは、自分が生きる社会のあり方やそこで共に生きる人たちの生き方を考えるということだと気がついた。

自分のための知識や思考は、同時に誰かのための知識や思考であって、だからこそ意見を交わし合って考えを深めることは大切だと思うようになった。単純な興味から専門外の授業に潜り込むあたりは相変わらずだけれど、学んだことを人と共有するようになった。勉強の内容だけではなく、日常生活のこと、将来のこと、社会のことについて友人と話す時間が増えた。内に溜め込んできた言葉を使って自分の考えを伝えるとき、本を読んでいるときと同じくらいわくわくした。言葉選びを褒められるたびに嬉しくなった。言葉を自分の強みにできたらな、とこっそり思ったりもした。


そんな私が時々息苦しさを感じる場面が、ゼミの時間だ。いわゆる国際系の学部に所属する身だからか、「世界の中の日本」という文脈で議論をすることが多い。その度に教授は「日本がいかに遅れているか」ということを強く説く。確かにそうかもしれない。そうかもしれないが、お腹の底が疼くような、そんな居心地の悪さを感じた。私は、世界と私たちを比べてせかせかするために、ここで勉強しているわけじゃないのに。世界に学んでそれに従うことだけが、学ぶ意味なのか。

ある日のゼミで、社会運動について議論していると、「日本の若者は自己充足的で、欧米諸国に比べて社会的な問題意識が低い」「小さな世界の中で満足しているから運動を起こさないし、声を上げない」という意見が出た。教授は、経済的な失望感が高まる日本で社会運動を起こす若者が少ないと嘆き、ハンガリーから来た留学生は、日本の学生がデモなどの社会運動に消極的であることを不思議がった。

また私のお腹の底が疼いた。日本の若者を、そしてそんな私たちが担う未来を憂慮する声を聞くと、そうかもしれないと納得しかける自分もいる。私たちが「満ち足りている」と感じている人生は、社会や世界からすると「満ち足りていない」ものなのかもしれない。自己充足的という言葉を聞くたびに、私が手にしているのは小さな15cm定規でしかなくて、いつまでそんなものを基準に生きていくつもりかと責められているような気さえする。幼い頃の自分を思い出す。好奇心のままに本を読み、それを何かに生かすこともなく満足して終わる。これが、私の「満ち足りている」ようで「満ち足りていない」自己充足の始まりだったのだろうか。


今だってそうだ。大学生活では高い学費と一人暮らしの生活費に頭を悩ませ、就活では慣れないパンプスを履いて爪先を痛める。ありとあらゆるものの自動化・高速化に目を回し、ぼんやりと将来を考える脳内では結婚と出産という言葉がちらつく。

それでも、アルバイト代で好きな漫画と値引きされたお惣菜を買って夜を過ごし、茶髪を維持しようと就活では髪の毛をスプレーで黒くして足掻く。Instagram に投稿される時短ガジェット紹介を眺めてはいいねを押し、30歳までに結婚したいけど今は彼氏いらないよねという話で友達と盛り上がる。心のもやつきが根本的に解決されたわけではないけれど、それでも上手くこなしていた。心地良い手触りのドレスが手に入らなくても、似た色形の、でも手頃な値段のワンピースで満足できると自分自身に思い込ませるような、そんな気分だった。

たわいもない日常生活ですら、不満をうまく誤魔化して過ごしている。それなら、さらに規模の大きな社会や世界という枠の中では、不満を意識すらしていないかもしれない。

それでも。

悲観的な意見の中で自己充足的という言葉が使われると、もやもやした気持ちが募る。自己充足感があるということは、自分を自分で満たすことができているという感覚があるということ。裏を返せば、満たすことができていない感覚を知っているからこそ足りるところまで補おうとするということだと思う。身の回りや世界に蔓延る不条理に目を向けず能天気に生きることと、不条理に気づいているからこそ自分を守るために上手く回避しようと足掻くことは、決して同じではない。

日常生活や社会に対してやりきれない気持ちを抱えつつ、小さな工夫で自分のご機嫌取りをして、どうにか自己充足感を手に入れている。私たちは意識が低く、不平不満がないわけではない。渇いた状態を知った上で、今できる限りの幸福を享受しているだけだ。そう反論したくなる。

もちろん、自分はある程度満たされているからこのままでいいという考え方では社会は好転しない。待っているのは現状維持か、衰退かの二択でしかない。社会に渦巻く不条理を変えたいなら、その意志を自分の言葉や行動をもって表明し、人々に訴えかける必要がある。それをせずに心の中でもやつきを抱えていても、誰にも伝わらない。それはわかっている。


ただ、知ってほしい。目に見える行動だけがすべてではないということ。形にできないもやもやが行き場を失って、SNS や心の片隅で死んでいるということ。自己充足的な私たちはお気楽な世界を生きているのではなく、渇いた世界の中に小さな幸せを見出そうとしているということ。

自己充足的な私だからこそ伝えたい。不平不満がないのではなく、それを何かで補填しつつやり過ごしている人もいるということ。そんな人と不平不満を声に出せる人を比べて優劣をつけないでほしいということ。目に見えるものだけで「意識が高い」「意識が低い」とカテゴライズしないでほしいということ。形にならない声にも耳を傾けて、一緒に形にしようと歩み寄ってほしいということ。まずは、もやもやを、もやもやのまま受け止めてほしいということ。

そして、私と同じ、自己充足的なあなたへ。形にならないもやもやは言葉にしちゃいけないなんて、そんなルールはない。まず、思いを書き出してみてほしい。堅苦しい表現やオチは必要ないし、書いたら何かを達成しないといけないなんてことはない。ありのままに書き出して、そして、誰かにこっそり見せてみてほしい。あなたが今、この文章を見つけ出して、読んでくれているように、どこかで同じもやもやを抱える人に届くかもしれないから。そうして、あなたのもやもやが誰かのもやもやを晴らすのなら、それは誰かの小さな世界を動かす、大きな変化だと思うから。

2023年1月24日

※ エッセイへのご感想やご意見がありましたら STAND UP STUDENTS の公式インスタグラム へ DM でお送りください。STAND UP STUDENTS では、今後も、学生たちがさまざまな視点で意見や考えを交換し合える場や機会を用意していきます。お気軽にご参加ください。


野津眞衣
Mai Notsu
2000年生まれ。大学4年生。
大学では、人の営みや労働を社会経済史の観点から考察・議論しています。大学最終年度を前に、1年間の留学を決意しました。コロナ禍で溜め込んだたくさんの諦めを昇華させてきます。

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イラスト:NATUMI
https://www.instagram.com/natumi_illustration/

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