多様性を尊重しよう、なんていうけれど
〜差別や偏見をなくすことを、うわべだけにしないために〜
文:もっさん
絵:ホシヤマヒカリ
「マイノリティの方々を尊重しよう」
「性の多様性を理解しよう」
「障害のある人への偏見をなくそう」
「外国人に対する差別をなくそう」
そんなコトバをよく耳にするけれど、「多様性を尊重する」って、「差別をなくす」って、いったいどんなことなんだろう。私たちは本当にそれができているのだろうか。
なぜそのような疑問を抱いたのか。それは、私自身が多様性を尊重することの難しさを身を持って味わったことがあったから。
私の家族は、障害を持っている。
できることも、できないことも、感じ方も、違う。
目に見えにくい障害だからこそ、家族だからこそ、彼らの障害をすべてありのままに受け入れることは、正直たやすいことではなかった。
自分とは異なる生き方の家族にイライラし怒り、そう感じたことを後悔し自己嫌悪に陥る。
その繰り返し。
多様性というコトバを頻繁に聞くようになった現代社会において、世間は、自分とは異なる他者をどのように理解し、どのように受け入れているのだろう。
できることも、できないことも違うすべての人が、自分らしく生きることができる社会。
誰もが暮らしやすい、そして生きやすい社会。
そのような環境が理想とされているけれど、今の日本はいったいどれくらいこれを実現できているのだろうか。
漠然とした疑問を抱く中で経験した長期留学は、自分のものの見方を大きく変えてくれた。
日本では日本人というマジョリティの立場にいた私が、留学先で初めて「外国人」「アジア人」という社会的少数派の立場になったのである。
周りと、言語も文化も見た目も違う、マイノリティとして生きるということ。
学校にいるときも、家にいるときも、街を歩くときも、どんな時も、自分に「アジア人」「外国人」という名のラベルが貼られているような感覚。
社会が自分のための居場所ではないような疎外感。
今まで、日本で「マジョリティ」という立場からでしか社会を見ることができなかった私に、この経験は「マイノリティ」として生きることの苦難・葛藤を教えてくれた。
留学から帰った後、私は、日本在住の外国人の方々との交流会に参加したり、たまたま駅で偶然仲良くなった視覚障害者の方とお話ししたりと、今まで関わることの少なかった「マイノリティ」とされるさまざまな人たちと関わる機会をいただいた。
自分の意識を少し変えるだけで、誰かに対して気持ちをオープンにするだけで、こんなにも出会う人や関わる人が変わってくるのかと驚いた。
それがきっかけとなって、障害のある方々のための合宿に参加したり、障害のある子どもたちのための福祉施設で働くようになったのだけれど、ここでの経験も、私に今まで見えてこなかった様々なことを気づかせてくれた。
外を歩くだけで、周りの人から白い目で、鋭い視線で見られることの居心地の悪さ。
周りとできること・できないことが違うというだけで、公園で他の子どもたちにひどい言葉をかけられたり、ボールを投げられたりするということ。
ほんの一部に過ぎないが、少しだけ彼らの視点からこの世界を覗くことができたように思えた。
「多様性を尊重しよう」
そのようなコトバが謳われる現代社会において、私が想像していたよりも多くの場面で、人が「自分とは異なる他者」「自分とは関係のないコト」に対して様々な憶測や先入観、嫌悪感を抱いているということに驚いた。
そして、「私」もその中の一人であったのだ。
家族の障害を、特性を、積極的に知ることを避け、「できないことがある責任」を彼らに一方的に押し付けてしまっていた自分。
自分が見ることができる一面的な部分だけに重きを置いて、彼らの思いや、抱えているものを、想像することができていなかったこと。
この世界を主観的にしか見ていなかったから、知らなかったから、分からなかったからというだけで、偏った見方や勝手な憶測を抱いてしまっていた自分に、ゾッとした。
自分とは異なる他者を理解する、尊重することって難しい。
当事者ではないからこそ、分からないことだって山ほどあるし、知らないことだっていっぱいある。そのような中で、自分とは違うものに違和感を感じたり、変だと思うことは自然なことなのかもしれない。しかしそこで、無理に相手と自分との違いを見ないようにして、うわべだけで差別や偏見をなくそうとするのではなく、むしろ、相手と自分との違いを積極的に見つけていくべきではないだろうか。
私はこうだけど、こういう生き方もあるのかと、知っていくことが大切なのではないか。
誰もが、他者にとっては違う人間であり、できること・できないことも感じ方も多種多様だ。
自分の視点から一方的に社会を見るのではなく、他者の視点に立ったらこの社会はどう見えるんだろうと、想像してみることが「多様性を尊重すること」そして「差別をなくすこと」の第一歩になると、私は考える。
私は、想像することをやめない人間でありたい。
あの人の立場に立ったら、この世界はどう見えるんだろうって。
2021年9月3日
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- もっさん
※家族や職場の子どもたちについても書かれているので、プライバシー配慮の面からペンネームにしています(編集部)
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イラスト:ホシヤマヒカリ
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